まったりとスペシャル系

Tigerdream が真面目なことから いい加減なことまで、適当に綴っているブログ

カテゴリ: 朝日新聞の妄言・虚言・戯言


朝日新聞・東谷晃平の片山さつき財務相への質問(10月6日閣議後会見)。「週末に配信された文春オンラインの件で質問したいんですけど」。これが東谷の「恥さらし劇場」の始まりだった。

週刊文春の配信記事は「片山さつき財務大臣が公選法違反の『事前運動』を行っていた疑い〈公示日前に行われた観劇会でタスキを掛け・・・〉」と題するもの。

ざっくりした内容は、「2022年6月の参院選公示前の5月16日、自民党東京都連の女性局が明治座で開いた『観劇会』で、片山財務相が名前入りのタスキを掛けて登壇した。これは公選法が禁止する事前運動に当たる疑いがある」。

東谷はこの文春配信記事をもとに、「この事実関係とその行為が事前運動に当たらないと認識されているのか?」と質問。

「事実関係」って、それはお前が調べるものだろう。さらに「その行為(名前入りタスキ)が」は、お前が事実関係を調べていれば聞く必要すらないこと。調べれば文春記事の「事実関係」が違うという「事実」が分かるからだ。

こんな東谷の質問に対し片山財務相はあきれ顔(オレの主観)で、「ご指摘の5月16日の観劇会ですね、私はそれに参加してません」「(出たのは)自民党の東京都連女性局主催の参議院選挙総決起集会。それは5月16日です」「それは候補者を鼓舞する中の人たち(自民党関係者)だけの会なので、まったく批判はあたらない」とピシャリ。

片山財務相の回答からも、文春記事のいい加減さ(いわゆる捏造と言っても良い)が分かる。しかも、それを自ら何の取材・確認もせず質問する東谷。

片山財務相
文春が掲載した片山財務相のタスキ掛け写真。調べれば「何月何日の何のイベント」とすぐ分かる。「あれ? 観劇会じゃないじゃん。参議院選挙総決起集会だ」で終了。にもかかわらず「文春がこう書いている。事前運動ではないか?」って、記者として相当ヤバいぞ。

片山財務相の回答後、東谷がどんな顔をして記者席に座っていたかは知らないが、何も感じてないかもね。普通の人間なら、恥ずかしくて(✕5)しょうがないはずだが、恥という言葉を知らない人間は恥ずかしいという感情がないからだ。

「週刊誌が書いているから」と裏取り取材もせず、大臣会見にノコノコ出て行き質問する記者。どこかで見た光景だ。そう立民系議員の得意技だ。東谷がここで玉砕しなければ、国会で立民系議員がこのネタを質問したに違いない。

ある意味、東谷は立民系議員を守ってやったことになる。助かったな杉尾くん。蓮舫もかな(苦笑)。


沖縄県知事選は9月13日に投開票が行われ、自民党などが推薦する古謝玄太氏が勝利した。現職の玉城デニー氏に約15万票もの大差をつける圧勝だった。朝日新聞も9月15日に社説でこの件について書いている。「沖縄県知事選 苦渋の民意が示す重み」。

えっ? 「苦渋の民意」? 朝日にとって「都合の悪い民意は民意じゃない」といういつもの言い分だ。

朝日は「焦点は経済だったが、辺野古移設に反対の県民はなお多い」から、この民意は「苦渋の選択だ」と言う。沖縄県民に対し、非常に失礼な言い分だ。古謝氏への投票は「消極的判断」とでも言いたいのか。

朝日は社説内で辺野古移設は「非現実的」と盛んに書く。移設とは直接関係のない米軍兵の「個別問題」にまで言及し「辺野古反対」を訴える。自分らの主張と相反する知事選の結果を認めたくない気持ちは分かるが、だからと言って沖縄県民の「民意」を歪めた論説は断じて許されない。

なぜ基地問題が大きな争点にならなかったのか、朝日は真剣に考えているのか? 朝日が書くような「基地より、とりあえず経済」なんてことではない。

沖縄で暴れまくっている「左翼活動家」の行動を、朝日は一度でも批判的に書いたことがあるのか? 彼らを「平和活動家」とか「市民団体」とか書くことが、国民の知る権利に寄与していると思っていのか?

彼らの過激な反対行動を見て見ぬふりをするデニー氏を筆頭とする朝日も含む左翼界隈。沖縄に「極左暴力集団」が入り込んで、なおさら過激な反対活動をしていることは、県警も認めていることだ。

このような反対運動であっても、その先に見据える沖縄の未来像が素晴らしいものならば、「基地問題」は常の争点のトップになるだろう。ところが、現在の反対行動(騒動と言ってても良い)の先に、どういう沖縄の未来が見るのか?

いつまで経ってもデニー氏を筆頭に左翼界隈は、これを示せていない。同様に朝日もだ。沖縄の未来像を示さない(示せない)連中に、沖縄の未来を託せないのは当然のことだ。

朝日はそれを「苦渋の民意」と言う。本当にバカな便所紙だ。

ついでに、朝日は社説の最後に「今回見逃せないのが、SNS上で誹謗中傷が激化したこと」「民主主義の根幹に関わる問題であり対策が急がれる」と書いている。一般論としてはその通りだが、自治労の開票不正を容認した朝日が言ってはいけない。

2013年の参院選開票作業時に、特定の候補者の得票を0(ゼロ)票にするという、自治労が犯した前代未聞の悪質な犯罪行為だ。いかなる理由があろうと許されることではない。しかし朝日は、それを「勘違い」「思い込み」などと書き、「過失」であるかのごとく大擁護した。

実際は「白票の水増し」「有効票の秘匿」「隠蔽工作の実施」(すべて判決で認定されている)など、とても「過失」と表現される内容ではない。

開票不正という「民主主義を破壊する行為」を擁護しておきながら、「民主主義の根幹に関わる問題」などと朝日が言ってはいけないのは言うまでもない。

関連 
 「朝日新聞よ、なぜ『民主主義の破壊だ!』と騒がない?」


朝日新聞夕刊のコラム「素粒子」。朝日の極左思想に基づいた偏見に満ち溢れた戯言コラムと言える。また、「権力監視」と「政府批判」をはき違えた「正義ごっこ」としか言えないアホコラムでもある。揶揄を用い皮肉を効かせ風刺あふれるコラムになっていると歴代筆者は考えているのだろうが(苦笑)。

しかし現実は支離滅裂・矛盾にも気付かず、ただただ「自己満」に浸っているだけの気持ち悪いものだ。現在の筆者は各務滋(かがみしげる)。

そんな「素粒子」が高市首相の「自己矛盾」について書いていた(8月24日)。「虫も殺せないと書けば、人を殺せる兵器は輸出するのに、と突っ込まれるのは目に見えている。それでも書くのは異論を気にしていないのか、想像力に欠けるのか」(一部)。

高市首相がXに「手塚治虫の火の鳥が好きで、輪廻転生の影響を受けているので、ゴキブリを殺すことができません」(かなり要約)とポストしたのを受けて、各務が自己矛盾など気にせず書いたものだ。

底が浅いとしか言いようがない。これが朝日の元論説委員の文章力。と言うか論理構成。宗教観としての輪廻転生と国政判断を同レベルで論じる愚かさ。幼稚と言っても良い。

個人の考え(私)と組織のトップとしての考え(公)が違うのは当たり前。「私」に基づいて「公」ができれば、それに越したことはない。しかしそれは恐らく無理なこと。だから「公私混同」や「公私の別」などの言葉がある。

トップ(首相や社長・理事長など)が自らの人生観(哲学や死生観など)だけで、その組織の運営ができるわけがない。それはトップに限らない。組織の方針と個人の考えが違うことなど当たり前に起こることだ。

こういう「比較できるもの」と「比較できないもの」の区別すらつかない。これが各務の実力であり、朝日のレベル。朝日記者は現役もOBも、この比べられないものを同列に並べる手法をよく使う。

例えば朝日が批判したものに「働いて働いて・・・働いて参ります」がある。しかし「記者がそれぞれに七転八倒しながら紡ぎ出している」は批判しない。どちらも決意や状況を比喩的に話したものだ。なぜ前者は批判され、後者は批判されないのか?

前者はご存じの通り高市首相の決意表明だ。ちなみに、後者は朝日新聞社長・角田克の言葉だ。働いて✕5が「過労死がぁ~!」となるなら、「七転八倒」は「虐待だぁ~!」とならなくてはおかしいだろう。

結局は、各務を始め朝日がやっているのは「批判のための批判」でしかないことを表わしている。各務が言う「異論を気にしていないのか、想像力に欠けるのか」は、自らの自己紹介でしかないのだ。自社の自己矛盾(ダブスタと言っても良い)には目をつむり(意図的に見ない)、敵対者には無理筋のロジックで批判する。

こういうのを恥ずかしいと思わなないのが、恥を知らない朝日人だと言うこと。世間一般では、こういう人間のことを「クズ」と言う。


立憲民主党の栃木県連に党員として登録している男性が、架空の女性に成り済まして政治活動を行っていたが判明した。女性の画像などは生成AIで作成していたとされる。

中村りほ  (1)
Xのアカウントは「中村りほ@立憲民主党」の名義で、令和6年(2024年)6月に作成されていた。

現在のところ、立民栃木県連は「県連の活動ではない」「県連としてかかわっていない」とコメントしており、党本部(田名部幹事長)も「(これから)確認する」って他人事。

立民は相変わらず自浄作用が働かないようなので、ここは朝日新聞にご登場願ってびじっと立民に苦言を呈してもらおう。

なんと言っても朝日新聞は、週刊誌が記事にしただけで誰も見たことがない「中傷動画問題」に際し、「中傷動画問題 秘書招致 首相は応じよ」との社説(6月24日)で首相を批判したくらいだからだ。

社説を読む限り、朝日は何の証拠も持っていない。批判の大元は「週刊文春の報道」「共同通信も伝えた」「週刊現代の報道」などとなっている。にもかかわらず「とても疑念は払拭されない」「言葉の解釈でごまかそうとしている」「説明責任逃れは許されない」などと書いたほどだ。

そして「(首相の答弁は)納得できない」「民主主義の土台である選挙の公正を揺るがす重大事だ」と続ける。そして「秘書を国会招致せよ」と言う。

朝日自身何の証拠も持っておらず、何の調査・確認もできていないにもかかわらず、社説で尤もらしい批判をし秘書を国会招致せよとまで書く。そういうことに躊躇ないのが「ジャーナリズム」という言葉は好だけど「プロパガンダ」になってしまっている朝日だ。

さあ朝日よ、今回の「中村りほ問題」は証拠画像は山ほどあるし、なにより作成者まで判明している。しかも立民参院議員との深い繋がりをうかがわせるような「ツーショット」写真・動画もある。

証拠がなくても社説で批判できる朝日が、ここまで証拠が揃っている問題で社説を書けないわけがない。誰を国会招致するよう要求する社説にするか? 水岡か田名部か? 栃木県連代表か? 作成者と「ツーショット」がある杉尾か蓮舫にするか? 仲良しだと思うぞ。それとも作成者本人か?

さあどうする、朝日よ。


朝日新聞が「著者に会いたい」という連載コーナーで、小学校教員・仲川啓介氏を取り上げていた。署名は阿部育子。仲川氏は「差別のない本屋に通いたい。 本好き教師の冒険の記録」の著者。

書店に「ヘイト本」が平積みされていることに危機感をもった著者が、オンライン署名を集め大手書店19社へ署名を提出した。これを朝日は「日常の気づきをきっかけとした『冒険の記録』だ」と書く。

著者が言う「憎悪や偏見をあおる本」の定義が不明なのだが、著者はこれらの本をすべて読んだ上で「ヘイト本」と判断したのだろうか? 恐らく読んでいないだろう。タイトルや中身のほんの一部からだろう。

著者の主観で「ヘイト本」と判断しただけである。自分の考え(思想と言っても良い)に合わなければ、実力行使をしてまでも排除する。典型的な「表現・言論の自由」の侵害だ。あれっ? 朝日はことさら「表現・言論の自由」の重要性・必要性を訴えていたのでは?

内容に法的問題(誹謗中傷・名誉毀損などの表現)があるならやむを得ないが、通常に出版されている書物を「気に入らない」という主観で「売るな!」とは、なんと傲慢なことか。まさに、現代版の「焚書」行為だ。これこそ「差別」ではないのか?

著者は「以前に比べ、書店に並ぶヘイト本は減ったと感じている」と言う。これが署名活動の成果なのかは不明だ。しかし、これが書店の「萎縮」だったとしたらどうだ? 朝日は何かというと「萎縮する」と批判をするではないか?

では著者や朝日に問いたい。逆のことが起こったらどう捉えるのか? 著者や朝日的な「良本」(つまりは極左本)に対して、書店に置くな(売るな)という署名が提出され、書店から「良本」が消えたら。

間違いなく「表現・言論の自由への挑戦だ」「危機的な状況だ」などと大騒ぎするだろう。こういうのを「ダブスタ」と言う。結局は、左派系界隈の「自分は正しい、正義だ。何をやっても許される」「自分は良いけど、お前はダメ」に行き着く。

著者や朝日が理解していない(勘違いしている)のは、商業活動の中での「ヘイト本を置くな」と「差別反対」は別物だということだ(特に法的問題のない主観によるもの)。一緒にしてはいけない。

「ヘイト本」かどうかの判断、「その本を買う」かどうかの判断は、それぞれの立場が優先されるのは当たり前。著者や朝日が口を出していけないの言うまでもない。「勇気を振り絞って」「震える声」であろうがだ。

そして何より気になるのは、著者が小学校の教員だということ。朝日の記事には「自身が担任を受け持つクラスの学級文庫にも伝記や絵本を置き、子どもたちが社会の課題に向き合う手助けになればと願う」とある。

おいおい、どんな伝記や絵本を置いているのか。是非、具体的に紹介して欲しいものだ。


朝日新聞が「消費減税の判断 警鐘を聞き立ち止まれ」との社説を掲載した(7月29日)。内容は「必要な物価高対策を冷静に吟味すれば、導き出される答えが減税ではないことは明らかだ」と、高市内閣が推し進めている「消費税(食料品)減税」を批判している。

朝日は消費税を「増大する社会保障費のため不可欠」との理由で推進している。しかし消費税導入(平成元年:1989年)時は反対論を展開していた。有名な「100円ラーメン」捏造記事なんてものまで書いていた。

そんな朝日が消費税積極推進に転向したのは平成24年(2012年)のこととされる。3月31日の社説「税制改革の法案提出 やはり消費税増税は必要だ」で、「高齢化が急速に進むなか、社会保障を少しでも安定させ、先進国の中で最悪の財政を立て直していく。その第一歩として、消費税増税が必要だ」と社論を一変させた。

きちんと理由を明確にした上なら、論説が変わることは否定しない。しかし、朝日の理由付けは「社会保障の安定」と「財政再建」という一般論だった。本音は財務省への忖度。と言うか、財務省へのゴマすり。

しんぶん村を「軽減税率」の対象にして欲しかったのと、所得隠しの常習犯だった朝日の国税(財務省の外局)へ協力するから見逃してアピール。以降、朝日はずっと財務省の機関誌になっている。

こんな朝日が、高市首相が進める「食料品の消費減税」を批判するのは分からなくもない。でもこれは自民党の衆議院選の公約なのだ。自民党のみならず、チームみらい以外は品目や税率・期間などの差こそあれ「消費減税」を公約としていたのだ。

衆院選2026 消費税公約
(図をクリックしてもらえれば多少大きく見えます)

選挙結果を見れば、国民の多くは「消費減税」を望んでいると考えるのが普通だ。物価高対策としての有効度としては意見が分かれるかも知れないが。

消費減税 世論調査結果
(図をクリックしてもらえれば多少大きく見えます)

衆院選後の消費税減税に関する世論調査結果。ほとんどの結果が「ゼロが望ましい」「1%が望ましい」を足せば6割を超える。これは「減税すべきではない」を大きく上回る。

朝日ごとき一新聞社が選挙で大勝した政党に「公約を実現するな」と言う。それでも朝日の言い分が日本(の財政面)や国民のことを真に考えてのことなら立派なのだが、自己保身だからなぁ。

朝日の主張する「消費減税するな!」は、果たして国民の理解を得られるのだろうか?


7月28日の国民民主党の定例会見で、玉木雄一郎が朝日新聞記者の印象操作質問(切り取り質問)に引っかかっていた。朝日記者の高市批判の道具として使われた無様な玉木。もちろん、朝日記者の悪巧みも会見中に当然暴かれているけど。

朝日・深瀬真由が「内閣支持率の急落の件」を質問。内容は「高市首相は会見で、内閣支持率低下の原因は分からないと発言した。代表(玉木のこと)はこの発言をどう感じているか?」

これに対し玉木は「いろんな要素があるので、分からないというのは素直な感想かなと」と前置きした後、「世論調査の結果に表れた民意に寄り添ってくれと言うのが国民の想いだと思うので、足りないところがあるならそれをしっかり行っていくというメッセージを、多くの国民は期待したと思う」(要約)。

つまりは、朝日の質問の意図である「高市内閣は国民の想いに寄り添っていない。支持率低下は当然だ」「国民のことなど何も考えていない内閣だ」を、玉木は見事に裏書きした回答を行ったわけだ。

その後、産経新聞(奥原慎平)が「首相は(支持率低下の原因は)分からないとは言っているが、政策に関する細かい問いの一問一問、国民の気持ちとして十分参考にしてますと言っているので、(先の朝日質問に対する玉木の回答は)首相発言と解離がある」「首相は(玉木の言う)国民の声に寄り添ってくれという気持ちに符合している」と質問の中で説明。

産経の質問の途中から玉木は「おぉ~」と声を上げるなどした上で、「それであれば、かなり寄り添った気持ちを表明されたのかなと」。最後には「私もメディアの切り抜きしか見ていないので」と言い訳。

この一連のやり取りを見て思うのは、朝日記者の高市首相発言の切り取りによる「悪意」を持った印象操作質問の酷さ。首相会見の情報(内容)を持っていないにもかかわらず、朝日記者の高市批判の道具として無様に使われた玉木。

それにしても、朝日の高市首相発言を悪意を持って切り取りしてまでも他党党首にぶつけるという底意地の悪さ。首相会見はすべて公開されているので、こんな印象操作はすぐにバレることなのに。玉木から首相批判を引き出すことだけが目的なんだろうけど、お粗末にも程がある。

こんな低レベルな朝日記者に引っかかる玉木。こんなヤツが一瞬ではあるがキャスティングボードを握り、その気になっていたのを思うとゾッとするわ。


サッカー北中米W杯の決勝トーナメント1回戦でブラジルと対戦した日本は、後半アディショナルタイムに決勝点を奪われて1―2で敗れた。あと一歩及ばなかったが、日本サッカーが世界で十分闘えることを示した。

日本代表の活躍と同様に世界的に称賛されているのが、サポーターによる「ゴミ拾い」だ。日本人の規則や礼儀・節度を重んじる行動は、世界のメディアで取り上げられるている。

FIFAもオランダ戦後に公式Xで「日本サポーターが試合後にスタジアムを清掃する理由。リスペクト」とコメントをつけて、その様子を紹介。ポストは3,500万回以上閲覧され、大きな反響を呼んだ。

日本(人)が世界から称賛されるのが嫌で嫌でたまらない朝日新聞は、なんとか日本を腐そうとバカな記事を載せた。「サッカーW杯で注目される日本のゴミ拾い 原点は85年の日韓戦か」(6月22日)。署名は金成隆一。

この見出しを見ると、日本サポーターのゴミ拾いの原点(発祥)を書いているのかと思うが、実は違う。内容は以下。

1986年のメキシコW杯、その最終予選の日韓戦(試合は1985年)、日本は韓国に1ー2で敗戦。試合後、在日コリアン5,000人の韓国サポーターがスタジアムのゴミを拾っていたとされる。それを見た日本サポーターが感銘を受け、ゴミを拾い始めたとされている。つまりは、ゴミ拾いを始めたのは韓国サポーターだ。

ところが金成は先に書いた見出しの最後に「か」をつけている。「か」は断定を避けて、様子を見るような場合に使う。「かもしれない」程度の意味合いになる。本来なら「か?」と疑問符を付けるくらいの内容だが、金成は意図的に「?」を付けないことで、相当の信憑性があるニュアンスを醸し出す手段を用いている。

金成は根拠不明な証言や民団の機関誌などを根拠として記事を書いているが、自分で裏取りをしていない(引用記事の信憑性などを精査していない)。その自覚があるから「捏造」だと批判されるのは嫌だが、何とか韓国を持ち上げたい。それが「か」という見出し表現に凝縮されている。

韓国は何かというと「韓国が発祥」と言う。歌舞伎、和歌、茶道・華道、柔道・剣道・空手、海苔・納豆・寿司・味噌、ソメイヨシノ、秋田犬などなど。これをウリジナルと言う。そんな韓国に新しい「韓国発祥(ウリジナル)」を朝日はプレゼントしたということ。

ウリジナルの数々は、本家日本とは比較にならないほど陳腐だが、韓国内で根付いている。しかし朝日がプレゼントした「ゴミ拾い」はどうだ? 1985年にやっていたとしても、今はまったく行われていない。それを「韓国発祥」と変な文章で記事にしてもなぁ。

しかも、1981年の天皇杯決勝で破れた田辺製薬の応援団が、試合後にスタンドのゴミ拾いを行ったとの記事が産経新聞に載っている(2024年3月)ことが既に掘り起こされており、朝日の記事は根拠のない「か」だったと嘲笑されている。

朝日よ、こんな記事を載せていいのか? これがお前らの言うジャーナリズムか? 「か」を使うなら東スポのように上手に使えよ。売れない三流週刊誌が「か」だけを小さく書いて、確認も取れていない内容を事実のごとく誤認させようとするのと何が違う?

こんなのが許されるなら、朝日の記事ずべてに「捏造か」と「か」を付ければ、どんな批判も許されることになるぞ。


京都市の食料品販売会社が中国産の「きざみねぎ」を混ぜていたにもかかわらず、京都府産九条ねぎのみで造られた商品であるかのように偽って販売していたとして、元社長が逮捕された。元社長は容疑を認めており、偽装は約4年前から続けられていた。

食料品の不正に関する関連法令は「食品表示法」「景品表示法」「不正競争防止法」がある。逮捕容疑は「不正競争防止法」違反と「食品表示法」違反。一般的に食料品の偽装(産地や消費期限など)は、この2つに問われるケースが多い。

特に「不正競争防止法」は事業者間の公正な競争の実現を目指す法律で、経済の健全な発展を目的としている。そのため経済活動全般に適用される(よく知られている例として、営業秘密に関する不正)。

産地偽装は不正競争防止法の「誤認惹起表示」が問われるケースが多い。「惹起(じゃっき)」とは「ある原因や行為がきっかけとなって事件・問題・感情などの結果を引き起こすこと」。つまり中国産を国産(九条ネギ)偽装することで、「おいしい」「安心」「品質が良い」と誤認させ、売り上げを伸ばしたとされたということ。

それなら、朝日新聞の「捏造」記事の数々も不正競争防止法違反ではないのか? 「ウソ」「事実無根」であることが分かっている事案をあたかも「事実」のように報道し、日本(国家)や特定個人に「特別」な感情を引き起こさせ、さらには売り上げを伸ばしているからだ。当然「詐欺行為」でもある。

「産地偽装」で売り上げを伸ばして逮捕なら、「捏造記事」で売り上げを伸ばしてたのなら同罪ではないのか? 警察・検察がメディアの怠慢ではないのか? 経済活動ではなく言論活動と垂れているのだろうが、とんでもない。捏造が言論になるわけがない。捏造と偽装は同義語だ。

例えば「慰安婦捏造」を例に取れば、歴代社長は逮捕されても文句は言えない立場だ。現行法(1993年全面改正)適用以降としても、中江利忠・松下宗之・箱島信一・秋山耿太郎・木村伊量は同罪だろう(一部の社長には時効がからむが)。

朝日は南京事件捏造・慰安婦捏造で味をしめ、サンゴ捏造に突き進んだ。それでも懲りずに、以降も数々の捏造記事を世に送り出している。「デカデカ捏造、小さく訂正」、記者もほぼ処分無し。このようなことを許してきたから、朝日は現在も反省無しないのだ。

当然、この考え方は週刊誌にも適用されるべきだ。「文春砲」などと調子こいている文藝春秋社の社長も同様だ。


4月26日に大阪で「排外主義にNO!」を掲げたデモがあったという。朝日新聞も「『外国人に暴力的』『将来に不安』排外主義にノー 大阪でデモ」との見出しで、それなりの扱いで報じている(署名:浅倉拓也)。

主催者のひとりである弁護士が言うには「外国人の急増に対する市民の不安感を利用し、政権が人気取りのために排外主義をあおっている」のだと言う。朝日・浅倉拓也もこの訴えに共感しているのだろう。主催者の弁に続き「昨年の参院選以降、多くの政党が外国人への対応を厳格化する政策を競い合うようになった」と書く。

おいおい、もう客観性なんて気にもしないのね。

外国人への対応強化を「競い合っている」は、朝倉個人の主観である。主催者の主観(「政権の人気取り」「排外主義をあおっている」)に自らの主観を被せるという、客観性のまるでない記事構成になっている。これは極めて悪質だ。こういうのは記事ではなく「感想文」という。

それに主催者側も認めているように「外国人の急増に対する市民の不安感」に対して、朝倉はどう考えているのか? 「不安感」があるからこそ、各政党も「外国人政策」を訴えているのではないか? (競い合っているかはまったく関係ないことだ)

それに言及もしないで、外国人への対応強化が「悪」のごとく書くのは、悪質な「印象操作」以外の何物でもない。

「不安感を利用して」政府が云々と主催者が言うのは理解できなくもない。しかし記者が「不安感を利用して」政党が人気取り競争をやっているなどと書く神経が理解できない。これで記者?

「普通の記者」なら「不安の要因は何か」を多方面から取材・分析し、事実と印象(感情)を区分けし、それぞれに対しどういう対応が求められるのかを書かなければいない(例えデモの報道だとしても)。

それなく、ひたすら「印象操作」に精を出す「感想文」を書く。これで「記者でぇ~す」って、いい商売だな(蔑)。

朝倉は大阪社会部所属。2003年に朝日に中途入社しているようなので、50歳以上だと思われる。ド新人かなと思っていたら、30年くらいの経験があるようだ。これで・・・(唖然)。


KY事件 (2)
平成元年(1989年)4月20日、朝日新聞夕刊1面に「サンゴ汚したKYってだれだ」という自作自演の捏造記事が載った。そう4月20日は「朝日新聞KYの日」なのだ。朝日新聞の数々の捏造のうちのひとつだが、朝日新聞の体質をよく表わしている。

記事中で「80年代日本人の記念碑になるに違いない。百年単位で育ってきたものを、瞬時に傷つけて」と日本人を蔑む。

捏造が疑われた際、朝日新聞はろくな調査もせず全否定。否定しきれなくなると、元々あったKYをなぞっただけと言い訳。そして、どうにも逃げ切れなくなり、無傷のサンゴに傷をつけたと渋々謝罪。

まさに、朝日新聞の「恥じない、精神の貧しさ、すさんだ心」を見せられた思いだ。

ちなみに、サンゴに傷を付けた本田嘉郎は当然クビになった。しかし「恥じない、精神の貧しさの、すさんだ心の・・・」と日本人を蔑んだ降幡賢一は、謝罪することもなく逃亡。優雅に記者生活を終えたことは、本当に腹立たしいことだ。

朝日新聞はこの「サンゴ事件」にも何ら反省することなく、その後も現在に至るまで捏造・ウソ、悪質印象操作を繰り返している。自らの「恥じない、精神の貧しさ、すさんだ心」を体現している恥ずかしい新聞だ。

朝日新聞の「サンゴ事件」を忘れてはならない。朝日新聞が廃刊になるまで、決して忘れてはならない。


朝日新聞・夕刊のクズコラム「素粒子」が、またまたアホなことを書いていた。多角的な視点から物事を見なければならない「新聞記者」が書いたとは思えない内容だ。

「国歌を歌うことは政治的行為ではないと言うのなら、歌わないことも政治的行為ではないはず。では、どうして歌わない教員をあんなに目の敵にしてきたのだろう。政治的行為とみなしたからでは」(4月15日)。

陸上自衛隊員が自民党大会で「君が代(国歌)」を歌ったことに対し、小泉防衛相が「国歌の歌唱は政治的行為にあたらない」と述べたことを皮肉ったつもりなのだろう。相変わらず過ぎて笑ってしまう。浅はかとしか言い様がない戯れ言だ。

国歌を歌う・歌わないが「政治的行為」がどうかではなく、処分されたクズ教員どもの組織人として行動原理の問題だ。組織人として組織の意向(命令といっても良い)に従うのは当然のことだ。それなくして、組織としての統制は図れない。ガバナンスの問題だ。従うのが嫌なら辞めるしかない。

組織命令には従わない、組織を辞めるのは嫌だ。こんなのが通用するはずがない。クズ教員どもが「処分」を受けているのは、業務命令に従わないからだ。「政治的行為」を問われているのではなく「業務命令違反」を問われているのだ。

個人の意思よりも組織としての意思が優先される。これに異議があるなら個人で活動しろと言いたい。例えば野球において、送りバントの命令を無視して結果的にホームランを打ったとしても、それは批難される行為だ。処分(罰金や2軍落ちなど)される可能性さえある。「オレの思想信条に反する」といったところで、「アホか!」のひと言で終わりだ。

朝日でも同様のはずだ。朝日の「高市政権・自民党腐し」という方針に対し、それを無視し「高市政権は素晴らしい」「成果を出しまくっている」と絶賛する記事を毎回書く記者を、朝日は使い続けるだろうか?

一般企業でも、社としての営業方針・事業方針が気に食わないなら会社を辞めて転職するか、自営で行うかするしかない。組織の中で行動(生きていくといっても良い)すると言うことは、そう言うことだ。

業務命令に従わない教員どもは、特に公立学校の教員という「公」と自分の思想信条という「私」の区別ができない「公私混同」を主張するわがまま者でしかない。世間知らずの社会不適合者と言っても良い。

この程度のことが分からないヤツが書いているのが「素粒子」だ。現在の担当は各務滋(かがみしげる)。

「素粒子」は自称・社会風刺コラムらしいが、過去から問題を起こし続けている。2008年の「死に神」や、2015年の「特攻という人間爆弾」などは大きな批判を受けた。素粒子は風刺を装っているが、中身は単なる「批判のための批判」でしかないからだ。

しかも、その批判は特定勢力にしか向かない。沖縄で違法行為の限りを尽くしている極左連中は、その対象には絶対にならない。なぜなら「お仲間」だから。こんな朝日や各務が偉そうに上から目線で記事やコラムを書いてはいけないのは言うまでもない。


高市首相は3月18日から20日まで米国を訪問し、トランプ大統領と首脳会談を行うなどした。結果は概ね「高評価」なのだが、一部反高市派(簡単に言うと左派系)は揚げ足取りに必死な状況だ。

典型的なのは朝日新聞だ。会談直後の社説「中東紛争下の日米会談 事態沈静化へ主体性見えぬ」(3月21日)では、高市首相の発言を「トランプ氏への称賛を繰り返し」「その場しのぎ」「これが首相の言う『したたかな外交』『世界の真ん中で咲き誇る外交』なのか」と言いたい放題。

同様に同日の1面では政治部次長・園部耕司が、高市首相のトランプ大統領への発言を「衝撃を受けた人たちも多いかもしれない」と腐す。つまりは「媚びへつらっている」と言っている。そして日本の役割を「新たな国際秩序を作りを主導する」ことだと。

まあ、朝日が日本の役割をどう捉えていようが構わないが、石破の時にそんなことを言っていたとは露ほども知らない。石破-トランプ会談を「満点ではないが成功」(編集委員・佐藤武嗣)としたのとは大違いだ(苦笑)。

さらには、クズコラム・天声人語も「おべっかを使い哀れむような目で国際社会から見られるのだとしたらたまらない」と、相変わらず朝日ロジックを展開する。「何々『だとしたら』何々だ」は自分勝手な仮定を前提にしている。

新聞記者は取材をすることで不明点を明らかにしていくのが仕事のはずだ。にもかかわらず、「だとしたら」などと書くのは記者失格である。これが朝日の論説委員のなれの果て。仮定で相手を批判していればいいとは、つくづく「お気楽な商売」だ。ちなみに、現在の天声人語の筆者は郷富佐子・古谷浩一・谷津憲郎だ。

こんな朝日はまだまだ言い足りないようで、「『抱きつき、迎合し、踊る』高市外交 トランプ追従が基軸なのか」(4月4日)を掲載した。筆者は小村田義之(政治部・戦略機動遊軍)。

朝日特有の「偉そう」な文面を見るだけで気分が悪くなる。しかもこれは記事ではなく、小村田の「感想文」。朝日読者は記者個人の感想文を読み慣れているのだろうが・・・。

朝日を始めとした国内左派系メディアや自称ジャーナリストなどは、ほぼ同様に「媚びている」「ゴマすり」との論調。これは首相の姿勢は「卑屈」であり「尊厳を欠いている」という印象を読者に与えようとしているだけ。

これは明らかに会談の本質とはかけ離れた、表面上のことである。朝日や左派系からすれば「批判できれば何でもいい」ということなのだろう。でもこれがいかに馬鹿げた評価であるかは、世界の報道内容を見れば明らかだ。

ニューヨークタイムスは「日本の首相は、魅力と抑制を駆使しトランプの怒りをほぼ回避」「ほぼ無傷で乗り切った」。外交評論家スミス氏も「この会談は日本にとって成功」と評している。テレ朝記者のバカな質問にトランプ大統領が「真珠湾」を持ち出した際も、「相手のゲームに巻き込まれなかった」という意味で、うまく切り抜けたという評価されている。

一事が万事こうである。国内左派特有の「批判のための批判」は、外交という国家間のあらゆる諸問題を考慮しなければならないという、当たり前のことが理解できていない。左派は「お花畑」と揶揄される理想を語る。米国とも対等だし何でも主張しろと言う。だから高市首相の「行動・態度」を「媚びへつらい」と捉える。

NYTの記事に関しても「積極的な評価ではない」「軽蔑されなかった」程度の内容だと負け惜しみを言う。それで精神状態が保てるのなら「どうぞご自由」にでしかない。

朝日が「外交とはこうあるべきだ」と主張するのもいいが、それは「朝日のガラパゴス化」の象徴とも言える。「憲法9条があれば日本は安全」と信じる朝日が「高市外交 トランプ追従が基軸なのか」と書くのは、ある意味当然のことだ。

朝日が米軍抜きで日本を守れと主張するなら良いし、憲法を改正して軍備を整えよと主張するなら良い。しかしそんな覚悟も考えもなく「憲法9条があれば日本は安全」などと言う朝日に、「外交の機微」などは理解できるはずもない。


3月13日に令和8年度予算案が衆議院を通過、参議院に送られた。これを多くのオールドメディアが批判的に報道している。「過去20年で最短」「異例ずくめ」(朝日新聞)、「数の力」「審議最短」(毎日新聞)、「異例に短い審議時間」(TBS)、「異例の早さ」「野党反発」(テレ朝)などの文言が並ぶ。

朝日新聞は社説「予算案通過強行 議会政治 傷つける暴挙」(3月15日)の中で、「巨大与党の数の力で遮二無二押し通す」「議会制民主主義を傷つけた」と鼻息荒く高市首相や与党を批判する。

お仲間の「自治労」が民主主義の根幹を否定する開票不正を行うという「真の民主主義の破壊」には「思い込み」とか「誤認」とか擁護する記事を書くような新聞が、「民主主義がぁ~!」とか、どの口が言ってるんだ? 鼻で笑ってしまう。
(「朝日新聞よ、なぜ『民主主義の破壊だ!』と騒がない?」参照)

そんな恥知らずな朝日は社説内で「予算委員会の審議時間は59時間と、2007年の第1次安倍政権の66時間30分を下回り、00年以降で最短となった」と書く。

では朝日に聞く。実際の予算案に関しての質疑は何時間? 今回の59時間の内訳と07年の内訳を比較しろと言いたい。「WBC観戦閣僚は挙手しろ」とか「統一教会がぁ~」とかを差し引いた「予算の中身」への質問は何時間なのか?それは07年と比較してどうなのか?

これを比較しないとまったく意味がない。予算と何の関係もない質問で100時間浪費しても、それをもって「予算案を熟議した」とならないのは明らかだ。当たり前の話だが、比較すべきは予算委員会の審議時間ではなく、予算案に対してどういう内容の質疑が行われたか、ということだ。

それなのに、相変わらず単純な時間を比較する。こういうのを愚の骨頂と言う。

55年体制(自民党と旧社会党とのなれ合い)時代の、「どうせ予算は通るから、社会党にも花を持たせてあげよう」との茶番劇時代の悪弊(追求風な質問でやってる感を出す)から、朝日が未だに抜けだせていない証拠の論調だ(他の多くのオールドメディアも同様)。

時代は大きく変わり、有権者(国民)の意識も大きく変わっている。「批判のための批判」「何でも反対」などまったく評価すらされないどころか、逆に「いい加減にしろ」と言われる時代になった。先の衆院選における「中道の大爆死」(特に旧立民)は、その典型的な事例だ。

朝日は未だに有権者の意識変化を理解できないでいる。おそらく、理解したくないのだろう。朝日は2022年8月30日の社説「立憲新執行部 野党の重責果たせるか」で、「野党の本分は『政府批判』だと心得よ」(意訳)と書いたくらいだ。
(「立憲民主党の新執行部に漂う絶望感」参照)

3年半経って立民は朝日の願い通り「何でも反対」の「底の浅い政府批判」政党になった(前からだけど)。その結果が「中道の大爆死」だという現実から目を逸らしている。

そんな朝日は参議院での審議に対し「参院での予算審議は大変重要である」「『再考の府』としての存在意義を示してもらいたい」と書く。ところが、いきなり蓮舫が「統一教会がぁ~!」を始めた。しかも衆議院で中道・早稲田ゆきが玉砕したこととまったく同じ内容をやっている(TM報告書に首相の名前が32回出てくるというネタ)。

朝日が求める「熟議」ってこれでいいのか?

「122兆円超にのぼる新年度当初予算案は、吟味が尽くされぬまま採決が強行され」と書く朝日が、こんなのを「熟議」とは言わないだろう? 朝日が批判すべきは誰なのか? 「衆議院で59時間」との批判が意味をなさないのは明らかだろう。


週刊文春が高市首相の「カタログギフト配布」を報じたことから、政策素養のない政治家連中や朝日新聞を始めとしたオールドメディアが喜び勇んでいる。これは逆に「批判のための批判」しか能の無い連中を浮き彫りにする結果となっている(苦笑)。

法律的な話をすれば、高市総理は政党支部から政治家個人に寄附を行なっていることから何ら問題となることはない。詳細は省くが、政治資金規正法・公職選挙法に照らして問題ない。

週刊文春は違法性の有無に関係なく「スキャンダラス」に取り上げているが、これは週刊誌特有の「売り方」だから許容されるのかもしれない。しかし公職である政治家や「ジャーナリズム」を自称するオールドメディアが、文春と同レベルで発言したり報道するのは如何なものか。

一部には法政大大学院教授・白鳥浩のように「政治資金規正法においては、個人から政治家に対する金銭及び有価証券などの寄付は原則として禁止されている。現金ではなくカタログギフトなら大丈夫とでも言うのであろうか? 問題がある」とのトンチンカンな意見もあるが、総じて「合法だが」との批判に終始する。

政治家代表として登場するのは立憲民主党の参議院議員・蓮舫。蓮舫はXに「問われているのは中身ではなく姿勢だ」とポスト。オールドメディア代表は朝日新聞。朝日は社説(「当選祝い配布 違法でなければよいか」2月26日)で、「一般常識とかけ離れている」「法令に反しさえしなければいいという姿勢」を批判している。

奇しくも批判しか能がない両巨頭が「姿勢」を批判している。人によって異なる主観の最たるものである「姿勢」。「こうあるべきだ」は人によって違う。これこそ蓮舫と朝日が好きな多様性と言うべきものだと思うが。

法的に問題ないものを個人的な主観によって批判することは、非常に危険な要因をはらんでいる。法より感情が支配する社会を作り上げたいのか? お隣の国がよく「情治国家」と呼ばれるが、それを目指しているのなら恐ろしいことだ。まあ結局は、攻め手がなく「イチャモン」を言っているだけ。

蓮舫や朝日が真に問題があると考えているなら「政治資金規正法・公職選挙法を改正する必要がある」と訴えなければいけない。それなく「イチャモン」を言っているから、旧立民(中道)は爆死するし、朝日の購読部数は惨めな数字になる。

両者こそいろいろ説明や反省しなければならないことがあるのではないか? 特に朝日は「キーウの慶大生」の件はあれでいいのか? 「富士吉田市新倉山浅間公園」の件はきちんと謝罪したのか? 「斎藤智子記者」の与太記事は取り消さないのか? 「100円ラーメン」は30年以上経ったが、朝日的には時効か?(苦笑)


兵庫県・斎藤元彦知事がいろいろあったが再選されて以降、あまり兵庫県や斎藤知事の動向・情報を気にしていなかったのだが、左翼活動家らが記者と称して相当数侵入しており、知事会見はいつも荒れているようだ。本来は記者クラブ幹事社が会見をきちんと仕切らないといけない。ところが・・・。

個別の会見の内容は別として、現在兵庫県記者クラブの幹事社は朝日新聞のようだ。12月10日の知事会見で幹事社として朝日・中塚久美子が傲慢発言をかましていた。中塚曰く「定例記者会見は、知事が記者からの質問に答える場です」「質問が尽きるまで答えてください」だってさ。

何を勘違いしているのか? 知事が記者からの質問に答える場? バカ言ってるんじゃないよ。行政(県)から県民への報告や連絡など伝える場だ! お前ら記者のためにやってるものでは断じてない。

さらに、質問が尽きるまで答えろだと? お前らは行政の状況を県民に伝えるのが役目であって、お前らの考え(思想)を主張する場ではない。県が主催の会見なのだから、県(知事)の日程優先なのは当たり前。公務の中で時間を割いているのは、県民への報告だからだ。

その会見に左翼活動家が入り込んでヤジを飛ばしているのを制しない幹事社って、役目を果たしていないのでは? そもそも、なぜ左翼活動家(菅野元や関テレの自称記者など)が入り込んでいるのだ。

中塚を始めとして、記者連中(一部の自称記者も含む)は何のために知事会見に出席しているのか? 自分のためとしか思えない。自分の主張をし、自分の思い通りの回答でないとごねる。まさに県民不在になっていることを自覚できていない。

こんなことをやっているから、知事会見に記者など不要でインターネット中継のみで十分だと言われてしまうのだ。つまりはオールドメディアなど要らないと言われている。

知事には質問が尽きるまで答えろと言いながら、問題を起こした朝日の記者連中が一切答えず逃げ回るのはどういうことだ? 自分らは何ら説明責任を果たさないくせに、他人には「こちらが納得するまで説明しろ(答えろ)!」って何だ?

お前ら、そんなに偉くないぞ。ただの民間会社の社員ではないか! いい気になるな!


今年の「新語・流行語大賞」年間大賞は「働いて働いて働いて働いて働いてまいります」(高市首相)に決定した。スポンサーがユーキャンからT&D保険グループに変わって、多少イメージも刷新されたのかな。

ユーキャン時代はあまりにも酷かったので「新語・流行語大賞」に対しては何の興味も無くなっている。まだやってるの? って感じ。

ところで、ここで書くのは「新語・流行語大賞」そのものに関してではなく、その結果を受けての朝日新聞記者の発言の異常さだ。その記者は朝日新聞経済部・南日慶子。

南は12月2日の国民民主党・玉木雄一郎代表の記者会見に出席し、次のような趣旨の質問を行った(複数質問の一部略し、かつ趣旨を変えないように結合している)。

「流行語大賞が発表され、高市首相の『働いて働いて働いて働いて働いてまいります』が選ばれた。そもそも馬車馬のように働くことを美徳とする風潮を変えて行こうというのがベースにあるのが働き方改革だと思う。首相の発言をきっかけに、働くことが美しいこと、称賛されることというふうな社会の空気が作られるのは、働くものを代表する党としては見過ごせないのではと思っている。どうですか?」

この質問の中に、南の「労働」に関する考えが凝縮されている。

「馬車馬のように働くことは美徳ではない」。まあこれは良しとして、「働くことは美しいことでもなければ、称賛されることでもない」「そういう社会になることは見過ごせない」。つまりはば「なるべく働かないで、サラリーだけはきちんと貰える社会」を労働者を代表する党は目指せということらしい。労働組合にもそれを求めていると言って良い。

極論すれば、共産主義社会の「統制経済」下の労働状況(働こうがサボろうが同じ給料が貰える社会)を望んでいるとも言える。「一生懸命働くことは無駄なこと(悪いこと)」と考える南が共産主義者などと言う気はないが、この労働感は資本主義経済下の労働感とは相容れない。

玉木には「ご本人の決意を述べたものであって、国民によりたくさん働けということを言った趣旨ではないと思うので、あげつらうことではない」とたしなめられたが、まったくその通りだ。

さらには玉木に「働くことは美しくあるべきだと思っている」と言われてしまう。南の「労働感」が異常であることが、玉木の回答によって逆に浮き彫りになったと言って良い。

南が労働に関してしっかりとした自らのポリシーに基づいて発言しているなら、変な考えであろうともまだましだ。しかし高市批判をしたいがために、こんな発言をしているのならたちが悪い。

こういう考え(批判ありき)がもっと進むと「捏造」に行き着く。朝日の数々の「捏造」は、すべて批判をするために行われてきた。対象は日本・日本人であったり特定人物であったり。

変な労働感(ポリシー)に基づいて変な質問をしたり変な記事を書くのも良し。何のポリシーもなく、高市批判がしたいだけならそれでも良し。どっちにしろ、南が碌なヤツではないことだけは確かなことだ。


高市首相の台湾有事を巡る「存立危機事態発言」に「認定なら武力行使も」と、あたかも日本が武力行使を行うとしか取れない見出しを付けた朝日新聞。高市首相の意図とはまったく異なる見出しををつけたのだから、明確な「捏造」だ。

それがバレそうになった途端、見出しを「武力攻撃の発生時」と変更。中国の武力行使があった場合に存立危機事態になるとの趣旨に変更。

この朝日の一連の報道を中国駐大阪総領事・薛剣が引用する形で、例の「その汚い首は一瞬の躊躇もなく斬ってやるしかない」が飛び出している。
(詳細は「朝日新聞の『捏造』で国際問題化!」参照)

朝日は「捏造」への反響が出てきたことで、「記事へのご指摘について」との言い訳を出した。

朝日は最初の見出しの意図(特に「認定なら武力行使も」の部分)は、「武力行使が可能になる」という一般論だとしている。つまり、前半(「存立危機事態になりうる」)は高市首相の発言で、後半は一般論から書いたということ。

変更後の後半部分(「武力攻撃の発生時」)は、どんな場合に存立危機事態と認定されるかを説明するためだと言う。この経過説明では、なぜ見出しの趣旨を変えたのかには言及されていない。それはそうだろう、言えないからだ。「捏造」がバレそうになったので変更しましたとは、さすがの朝日でも言えない(苦笑)。

朝日はこの言い訳で大事にならないと判断したのだろう。しかし薛剣が引用したのは「朝日新聞デジタル速報席」というXのアカウント。ここに投稿された記事の見出しは「認定なら武力行使も」。

薛剣ポスト
薛剣はこの「朝日新聞デジタル速報席」(見出しは「認定なら武力行使も去)のポストを引用し「首斬り発言」を行っている。朝日の言い訳は薛剣の発言(ポスト)とは関係ないのだ。薛剣は朝日の捏造見出しで騒いだということ。

朝日デジタル速報席
ちなみに、現在もXの「朝日新聞デジタル速報席」で当該記事の見出しは「認定なら武力行使も」のままだ。そして、そのリンクから進むと修正された「武力攻撃の発生時」の見出し記事がだ出てくる。

朝日がどう言い訳しようが、薛剣が「認定なら武力行使も」の見出しを元にバカなことを言ったのは明らかなのだ。朝日の言う「見出し修正は騒動とは関係ない」は正しくない。こんな言い訳は通用しない!


高市首相の台湾有事を巡る「存立危機事態発言」により、中国側が反発を強めている。駐大阪総領事・薛剣が「その汚い首は一瞬の躊躇もなく斬ってやるしかない」とXにポスト。その余波は多方面に広がっている。

薛剣総領事は過去から日本に対してだけでなく「過激」な発言を繰り返しており、一般的には中国の「戦狼外交」のひとつと考えられる。習近平の「偉大なる中華民族」思想を受け、それに忖度する外交官や政権幹部が攻撃的な発言を行うことで、習近平にゴマをすっているのだ。

だからと言って無視するわけにもいかず、相変わらず困った国なのだ。実はそれ以上に困った存在が、中国におもねる「媚中」の連中。こういう連中が中国以上に大騒ぎをすることで、中国への忠誠心を競い合っている。

薛剣ポスト
その筆頭格が朝日新聞。朝日は高市首相の発言を受け「高市首相、台湾有事『存立危機事態になりうる』認定なら武力行使も」との見出しで速報。この朝日(朝日新聞速報席)のXポストを引用する形で、薛剣は上記の「首を斬ってやる」ポストをしている。

朝日新聞 見出し捏造 (1)
ところがこの朝日のポスト、おかしいことにすぐ気付く。「認定なら武力行使も」とあるが、この文章を普通に解釈すれば「存立危機事態と認定すれば、日本側が武力行使を行う(こともある)」と読める。恐らく薛剣もそう解釈したから「首を斬ってやる」とポストしたのだろう(薛剣は日本語が非常に堪能)。

高市首相はそんなことは一切発言していない。答弁要旨は「邦人保護が必要な状況で海上封鎖され、それが中国艦船による武力行使に伴うものであれば存立危機事態になりうる」。これは従来からの政府解釈の域を一歩もでていない。何ら問題のない発言だ。これをどう捉えると「認定なら武力行使も」となるのか?

実は記事中には「首相は『即、存立危機事態だと認定して日本が武力行使を行うということではない』とも語った」とある。それなのに「(存立危機事態)認定なら武力行使も」との見出しは、明らかな「印象操作」だと分かる。「捏造」と言っていいと思う。

朝日新聞 見出し捏造 (2)
朝日もさすがにヤバいと思ったのか、一切の説明もなしにしれっと見出しを「高市首相、台湾有事『存立危機事態になりうる』武力攻撃の発生時」と変更。これなら中国の武力行使があれば存立危機事態になるとの解釈以外成り立たない。

「捏造」がバレたので「証拠隠滅」を図ったとしか理解できない。もちろんモロバレしているのだが。朝日はこの件について、説明になっていない言い訳をしている(この朝日の言い訳については別記事で)。

朝日は立民・岡田克也の質問内容も、朝日に取って不都合な部分はカットしている。台湾とフィリピンの間にある「バシー海峡」の封鎖を例に挙げたのは岡田だ。しかしこれらは全カット。朝日は相変わらず国民の知る権利を侵害しているわけだ。

朝日に乗せられて大騒ぎしている現状を見ると、朝日の「捏造」は大成功。しかも朝日がしれっと「証拠隠滅」を図ったことはも、一般にはあまりバレていないようだ(ネットでは非難囂々だが)。それにしても、朝日が相変わらず過ぎて笑うしかない。つくづく朝日って日本に不要なクズ新聞だということだ。

*写真(記事のスクショ)が見づらいかもしれません。その場合は写真をクリックして、拡大して見てください。


高市首相の「今日は文化の日です。(中略)午前中は宮中に参内し文化勲章親授式に参列させていただきました。(後略)」(11月3日)とのXポストに対し、烏賀陽弘道という元朝日新聞の自称ジャーナリストが「で、自分のダンナにも勲章あげたわけね?」と引用リプ。

3日には文化勲章の他に令和7年度秋の叙勲も発令されており、高市首相の夫である山本拓元衆議院議員に「旭日大綬賞」が授与されたことを揶揄したと思われる。

ところが、秋の叙勲(受賞者)を決定したのは石破内閣だ。高市首相が決定したわけではないのは、時間軸を普通に考えれば分かること。何でもかんでも高市首相を批判しようとしているから、こんな恥ずかしいことを言ってしまう。

当然のことながら烏賀陽のXには指摘や批判が殺到。コミュニティノートもつけられた。勘違いなら「失礼しました」「ごめんなさい」のひと言で済むのだが、それができないのが極左の「謝ったら(間違いを認めたら)死ぬ病」。

烏賀陽は多数の指摘や批判に対し「この投稿でワナを仕掛けたら、案の定バカがわんさか集まった。今年の叙勲が石破茂内閣の決定だなんて誰でも知ってるって。私は一言も『高市早苗総理の決定』だなんて言ってないんだけどなあ。ただ『あげた』と言ってるだけ。その区別がつかないバカにワナを仕掛けといたら、大漁期待以上で愉快愉快」とポスト。

意図的な「釣り」だと強弁したいらしい(苦笑)。「決定したのは石破内閣なんて知ってるよ」と言っているが、知らなかったのはバレバレ。さらには「あげた」は「決定」したではなく「授与」したと言いたうようだが、「あげる」のは首相ではなく天皇陛下なんだけど。叙勲の授与者も知らない自分の無知蒙昧さを世間に知らしめただけ。

こういうのを「恥の上塗り」と言う。恥ずかしすぎる。

調べてみたら、烏賀陽は過去にもまったく同様に自分の間違いを認めず「釣りだ」と強弁していたことも見つかった。烏賀陽の異常とも言えるプライドの高さがなせる技なのだろう。それ以外にも「盗撮騒動」なんてものあった。

自分が常に「No1」で、他人に劣ることなど何もない。自分を批判したり反論してくるヤツはみんな「バカのくせに優秀なオレに物を言うな」ってことなのだろう。

烏賀陽は比較的早く退職しているが元朝日新聞の記者だ。その後は自称ジャーナリスト。世に溢れる朝日OBの自称ジャーナリスト(佐藤某、尾形某など)を見れば分かる通りだが、普通のジャーナリストからすればこんな連中がジャーナリストを名乗るのは迷惑でしかないだろう。


衆参両院の首相指名選挙で、自民党の高市早苗総裁が第104代首相に選出された(10月21日)。日本の憲政史上、初の女性宰相が誕生した。

高市新首相の立ち位置は保守派とされる。現在の非常に「左傾化」しているメディアに毒された世の中では「保守=右派」となるのだが、世界的に見れば「普通」の考え方だ。自称リベラルの「極左メディア」から見れば、みな右に見えているだけ。

まあ、ここでそんな「左右議論」や「保守だリベラルだ」と言いたいのではない。朝日新聞の高市批判が余りにも「自分のことは棚に上げて」で、笑ってしまったことを紹介したいだけだ。

それは朝日の社説「政治家の言葉 社会を蝕まないために」(10月12日)。高市首相(当時は未就任)の奈良公園のシカ発言や外国人犯罪者の不起訴問題発言を取り上げ、「国のかじ取りを担おうとする人の口から、排外主義的な主張が繰り出されること自体が残念だ」「自らの言葉の根拠が正確か(など、中略)責任も感じられない」と批判する。

そして「政治家にとって言葉は武器と同時に命でもある。市民もメディアも、政治家の発する言葉の真偽を確かめ、見極める力を養う必要がある。偽・誤情報を口にすれば命取りになる、と自覚させるために」と締める。

ん? 相当上からものを言っているが、主語を「新聞」に変えたらどうなる? 発言を「記事」に変えたらどうなる?

「新聞にとって記事は武器と同時に命でもある。市民もメディアも、新聞記事の真偽を確かめ、見極める力を養う必要がある。偽・誤情報を記事にすれば命取りになる、と自覚させるために」となる。非常にすっきりするね。新聞のところを具体的に朝日新聞としたら、もっとすっきりする。

朝日は意図的に「偽・誤情報」を記事にしてきた(つまりは捏造)。日本や特定の人物を貶めるためや、世論を特定(朝日の意図する)の方向へ誘導するためにだ。そんな朝日が高市首相に対して「自分の言葉に責任も感じられない」「偽・誤情報を口にすれば命取りだぞ」とか、よく言えたものだ、

従来、新聞などオールドメディアが情報を独占していた。そのため朝日などは好き勝手に情報を「加工」して来た。それがSNSの広がりによりバレてしまった。だからオールドメディアはやっきになって「SNSはウソばかり」「SNSを規制しろ」と言っている。

それだけでも相当恥ずかしいことだが、他者を批判するために過去(現在もかな)の自分のことなど微塵も反省しない態度は許されないだろう。結局は、恥を知らない朝日に何を言っても無駄だということのようだ。


自民党総裁に高市早苗氏が選出された。高市氏は当選直後のスピーチで「私自身もワークライフバランスという言葉を捨てます。働いて働いて働いて働いて働いて参ります」と決意を述べた。

朝日新聞は早速「高市氏の『WLB捨てる』発言 過労死遺族は驚き『影響力考えて』」との記事を配信した(署名は東京社会部・遠藤隆史)。記事は「全国過労死を考える家族の会」の方に「国のトップに立とうとする人の発言とは思えない」と批判させている。

遠藤の余りの国語力の無さに驚愕している。頭が悪いと言っても良い。それくらいの決意で働くと言ってるだけではないか。同じようにこの「決意表明」を字面で批判している極左政党前党首や極左コメンテーター(TBS番組の常連)もいるが、本当に呆れるしかない低能連中だ。

また、遠藤の記事中で「古い日本の価値観を引きずったような発言で、非常に残念だ」とコメントしている龍谷大名誉教授・脇田滋も相当やばいな。朝日のコメンテーターとして生きて行く道を選んだのはいいとして、労働法よりも国語の勉強をし直すことをお薦めする。

では、高市新総裁が「WLBを考え、適度に働き適度に休み、健康的な生活を維持しながら自民党の再建を進めて行きます」って発言していたら、どう記事に書いただろうか。「素晴らしい、それこそ今求められてるリーダー像だ!」なんて褒め称えたのか。「解党的出直しとのスローガンはなんだったのか。そんな悠長なことを言っているときではないだろう」と批判したのでは?

「批判のための批判」に何の意味も価値も無いことに、いい加減朝日新聞は気づいたらどうだ。昔からの伝統を守る続けていると言えば聞こえは良いが、揚げ足を取って「どうだぁ」って気分になっても、普通の国民は呆れるだけだぞ。

こういう比喩的表現を字面で批判したら、自分ら記者は記事など書けないだろう。遠藤自身も過去記事で比喩くらいを使ったことがあるだろう。この記事はそれくらい恥ずかしい「批判のための批判」だ。

最後に、遠藤に朝日新聞社長(CEO)・角田克の言葉を教えてあげよう。自社HPに掲載されているぞ。見てないだろう? 「確かなニュースは(中略)訓練された記者がそれぞれに七転八倒しながら紡ぎ出しているもの」だそうだ。

朝日の記事が「確かなニュース」かは別にして、「七転八倒」って「激しい苦痛のために転げ回ってもがき苦しむこと」を言う。記者(社員)にこんな働かせ方をしたらダメだろうって批判されたら、遠藤はなんと答える?


朝日新聞がやっと広陵高問題について社説で言及した。「広陵高校辞退 暴力を根絶するために」(8月17日社説)。広陵高が「夏の甲子園」を途中辞退したのは10日。1週間も経っての社説だ。

ちなみに、読売新聞と産経新聞は13日に社説を掲載している(「広陵甲子園辞退 SNS中傷招いた対応の甘さ」読売、「広陵の甲子園辞退 これでは後味が悪すぎる」産経)。毎日は未だ。恐らく毎日は社説で書かないだろう。何かを書けば「春の甲子園」主催社としての自身に跳ね返ってくる。今後の成り行きをみているのだろう。

朝日の社説を見ると「(暴力)根絶へ向けて何ができるか、改めて考えねばならない」で始まる。以下、その具体的手法を朝日なりに考えたことが書かれているのかなと推測するが、実は違う。

現在報道されている内容をベースに、淡々と時系列に書いていく。そして「高野連と夏の甲子園大会を共催する朝日新聞社は、対応を考えねばならない」。ここでも「何が出来るか考える」と書く。もう社説も後半だぞ。また「考える」か?

そして、「より透明性の高い仕組みを目指してどんな手を打てるか。高野連とともに責任と役割を積極的に担っていきたい」。言葉は違うがまた「これから考える」と書く。これほど見事な中身ゼロの社説も珍しい。まさしく、スッカラカン。

社説のタイトルにあるように「暴力を根絶するために」朝日は具体的にどう対策・改革していくのか? を何も書かないで、これは何を言いたいがための社説なのか?

その答えは最後の2行にあった。「今回の一連の問題でも、不確かな情報や多くの個人名がSNS上で飛び交い、人権侵害の連鎖が懸念されている。ネットにまつわる課題への対策のさらなる検討が急務だ」。

あぁ、これが言いたかったのね。朝日は「広陵高校辞退 暴力を根絶するために」なんてタイトルを付けておきながら、実はSNS批判をしたかったってこと。大会会長である朝日社長が「(辞退は)残念だ」「SNSでの誹謗中傷をやめろ」なんて言ってるんだから(広陵高の辞退を受けて10日の会見)。まあ、しょうがないかな。

それにしても、これほど中身の無い社説は久しぶりだ。もともと、朝日の社説に中身はないけど、それにしてもだな(苦笑)。


広陵高校が「夏の甲子園」2回線への出場を辞退すると発表した(校長の会見も)。それを受け、大会会長(朝日新聞社長)と副会長(日本高野連会長)が会見を行った。会見を行った広陵高校長、朝日新聞社長、高野連会長に共通することは「うちらは被害者」。

広陵高校長は「大会本部に迷惑を掛けた」「生徒や学校関係者を守る」ために辞退するという趣旨の発言を行った。この高校ダメだね。そりゃ、暴力問題もこじれるわ。

発生した(させた)暴力事件の解決内容に、被害者側が納得していないことすら理解していない。さらに、その内容がSNSで表面化したことにも不満を言い、批判に対し被害者意識丸出しで「誹謗中傷から学校・生徒を守る」ための辞退だという。

大会本部(言いかえれば朝日と高野連)に迷惑を掛けたことをわびるのではなく、暴行事件を発生させたこと、被害者側へのお詫びが第一のはずだけどね。それ無しにすべて他責と言わんばかりの言動に、多くの人は呆れたのではないだろうか。

原因は誰にあると思っているのだろう? SNS? まさか被害者側とか思ってないよな。言うまでもなく広陵高自身だし、野球部の体質だし、監督だろう。

大会本部は本部で「(辞退は)残念だ」「SNSでの誹謗中傷をやめろ」(朝日新聞社長)。朝日社長の本音は「SNSの誹謗中傷によって広陵が辞退したじゃないか」「大会に泥を塗られた」のようだ。

高野連会長も今回の事案に対し、学校側の言い分と被害者側の言い分に乖離があることは理解しているはずなのに、広陵高に再調査を求めることもしない(2件目は第三者委が上がっているようだが)。

暴力事件に関して、事実通りの報告が行われていたのか? ほぼノーペナルティーの処分は正しかったのか? 加害者の選手登録は適切だったのか? 被害者側(本人及び保護者)への対応は正しかったのか?

広陵高・高野連・大会本部(朝日新聞)がそれぞれの立場で再度チェックを行わないと、本質的な対策は行えない(また再発する)。今回会見した3人の言動を見聞きするにつけ、まったく期待できないと言わざるを得ない。なぜなら全員が「被害者」ポジションをとっているから。

みな被害者ぶってるが、実は全員当事者。この態度が批判の原因であることを誰も理解できていない。

世間の反発を招いている一番の要因は、「被害者は転校(泣き寝入りに近い)」、「加害者は甲子園出場」という社会の理不尽さが表面化したからに他ならない。本来なら、ここで「人権屋」の朝日の出番になるのだが、朝日の「人権」は自身に都合の悪いときには発動しない。被害者の受けた人権侵害は、朝日に取ってはどうでもいいことなのだ。

じゃあ同じく「人権屋」の毎日新聞が出てくれば良いのだが、毎日は毎日で「春」の主催者。今、朝日を攻めると来春の反撃が怖い。こんな連中が「利権」最優先で「汗と涙の青春」などときれい事を言ってきたツケが回ってきただけ。

恐らく広陵高だけの問題では無く、全国の強豪校に大なり小なり共通することではないだろうか。だからこそ、高野連(と朝日新聞・毎日新聞)が根本的な対応をしないといけないのに、「SNSでの誹謗中傷がぁ~」(朝日社長)とか言ってるようでは無理なこと。

誹謗中傷はダメだが、ほとんどは「まっとうな批判」。その批判に向き合わず高校関係者・大会主催者・高野連が「攻撃される被害者」を気取っている。自浄作用は働かないだろう。


「夏の甲子園」が始まったが、広島の広陵高校の不祥事が発覚し(高野連の処分は済み)グタグタ状態だ。処分内容や加害生徒も出場していることなどに賛否両論。SNSには加害生徒とされる実名まで晒される状況になっている。

高野連声明
開幕前の8月4日に高野連が「誹謗中傷等への対応について」と題する声明を発表。「こういう行為(誹謗中傷や差別的な言動)があった場合は法的措置をとる」とのこと。一般論で言えば、沈静化を図るためには正しい方法なのかもしれない。ただ、どうも問題の本質を理解していない節がある。

騒動が大きくなったのは学校側の報告内容と、被害生徒側の訴えに大きく乖離があることだ。ここへの言及なく「法的措置だ!」は、そりゃ「何言ってるんの?」となるのは自明。なぜこの時期に騒ぎを起こしたかの思惑は措くが、これも被害者側が学校の対応や高野連の処分に納得していない証左でもあろう。

声明に共同で名を連ねている「株式会社朝日新聞社」も同罪だ。ただ朝日は「大会本部」の朝日とメディアとしての朝日を都合良く使い分けているようだ。ここでの朝日は大会本部の朝日のようだ。

そうでなければ、こんな安直な文章をメディアが出したら命取りになりかねない。それくらいの思慮・分別は、あの朝日にもあると思うからだ。

高野連と朝日が力業で押し切ろうとした中、2件目の被害報告が拡散された。この内容は学校側の調査では「認められなかった」と高野連に報告されている。

高野連側からすれば、学校側からの報告を以て処分を決定するしかないのはやむを得ない。ただ学校組織と被害生徒個人の力関係を考えれば、今回の件だけでなく過去から過少申告が行われていたことは容易に想像がつく(今回の件が過少申告と行っている訳ではない)。

本来なら、ここでメディア・朝日新聞の出番だ。日ごろから人権意識の高い(多少の嫌みを含む)朝日が、被害生徒の人権にまったく配慮せず高野連と一緒になって主催者側の論理を押し出していることには違和感しかない。

大会主催者が混乱に輪をかける対応をするはずもないのだが、メディア・朝日新聞としての対応としては間違っていると感じる。これだけ学校側と被害生徒側の言い分が異なっているにもかかわらず、再調査が必要だと明言しない朝日。

日ごろの「人権・人権」「弱者の声を聞け」とか言っているのはボーズに過ぎなかったということ。大会期間中の混乱は避けるべきだが、「大会後にすぐ再調査を行って事実関係をはっきりさせる必要がある」とか言えないものかね。

高野連と一緒になって「カネ儲け」に精を出すのも良いが、メディアの意義や役割を忘れているのは恥ずかしいことだと思うぞ。まあ、自らはメディアでなく不動産屋だと自覚しているならそれでもいいけど。


昨年11月に行われた出直し兵庫県知事選で、県内の市長22人が稲村和美候補への支持を表明した行為は公選法違反(公務員の地位利用)に当たると告発されていた件で、兵庫県警は22人の市長を「書類送検」した(6月13日)。

22人の代表7人が会見を開いた際、相生市長・谷口芳紀が机をバンバン叩いて訴えた姿を思い出す。このジジイは無様な姿を全国にさらしたわけだが、地方のジジイ市長などこの程度なのだろう(苦笑)。

ところで、この「書類送検」を知り各社がどのように報じたのが興味があり確認してみた。左派系は報じてない(報道しない自由の発動)のでは? との疑問が発端。

毎日新聞を確認すると「対立候補への支持表明 兵庫県内22市長を書類送検 公選法違反容疑」との見出しで報じていた。では朝日新聞はと言うと・・・見つからない。「書類送検」で検索したのだが、22市長の件はヒットしない。えっ、本当に報じてないのか(唖然)。

朝日新聞(電子版)をくまなく探したら、あったあった。その見出しは「兵庫知事選『22市長の支持表明』県警が書類送付 地位利用巡る告発」。「書類送付」? いつから朝日は「書類送検」を「書類送付」に改めたのだ? 以前から使っていたっけ?

しかも記事内でも「県警は地検に捜査結果の書類を送った」と書き「書類送検」の文言を使っていない。「書類送検」で検索しても出てこないわけだ。

朝日のサイト内を「書類送付」で検索してみると、事件報道ではこの1件しかヒットしない。他は何かの申し込みには「書類送付」が必要だ的な記事のみ。つまりは、朝日はこの報道で始めて「書類送付」って使ったことになる。

では、今後は「書類送検」を「書類送付」に改めたかとも思ったが、この件以外は普通に「書類送検」を使っている。つまりは、この22市長の「書類送検」のみ「書類送付」としたことになる。

こういうのを「印象操作」と言う。国民の知る権利の侵害と言っても良い。

何がしかの容疑で告発された後、捜査機関はその結果を検察に送付する必要がある。普通の手続きだ。犯罪容疑確定(有罪とか)でもなければ何でもない。ただの手続きだ。この後、検察が起訴やら不起訴やらを判断することになる。

しかし世の中では「書類送検」というと犯罪容疑確定のイメージが定着している。朝日はそれを嫌い、22人の市長(反斎藤派)に「犯罪」イメージが付かないように配慮したわけだ。日ごろまったく使っていない「書類送付」などという言葉を用意してまで。

しかも朝日は記事中に「県警は起訴などの厳重な処分を求めていないとみられ、不起訴の公算が大きい」とまで書いている。おいおい、「~とみられ」って記者の推定でしかないじゃないか。その推定を元に「不起訴の公算が高い」って、どれだけお仲間擁護なんだよ。

恥ずかしくないのかね。こんなことをやっているから「オールドメディア」なんて呼ばれるのだ。他紙も迷惑していると思うぞ。

毎日は今回「書類送検」と報道しているが、お仲間が絡んだ事件では「書類送検=犯罪確定ではない!」と一生懸命説明したかと思えば、主義主張が異なる人物の事件では「書類送検」を報じる記事に「パトカー」の写真を添える印象操作を行っている。本当に左派系って分かり易いわ。

関連
 「毎日新聞の悪質な印象操作」


日本将棋連盟は女流棋士が棋士になれる新規定を作ると発表した。内容は「白玲戦」(女流最高のタイトル)を通算5期獲得すると、棋士資格である4段になれるというもの。6月の棋士総会で議案として提出される(過半数の承認が必要)。

羽生善治会長は「多様な意見があるのは当然ですが、ハードルの高さは従来の制度と違いはない。特別に女性棋士を誕生させることではない」と述べている。個人的には将棋には詳しくないが、明らかな女性への特例措置のように感じる。

日本将棋連盟(執行部)の方針について批判しようというものではない。言いたいのは朝日新聞の社説「女性の棋士 新しい挑戦 見てみたい」(5月27日)の論旨についてだ。

朝日はタイトルからも分かるように、この新制度案を大きく評価している。「実力を備えた女性が、棋士同士の対局で力を伸ばしていく。その挑戦は観戦に新たな趣を与え、ファン層を広げると期待できる」と大絶賛。

朝日の鼻息は荒いが、本当にそうだろうか? 現行制度では棋士(4段)になるには奨励会を勝ち抜かないといけない。一部例外もあるが、基本的には年齢制限もある。それらを踏まえると、相当厳しい狭き門だ。藤井名人やひふみん(加藤一二三元名人)のように中学生で棋士になる天才もいるが、多くは棋士になれず脱落していく。

奨励会を経て棋士になる制度に男女の区別はない。すべて実力の世界だ。現実的には女性が奨励会を勝ち抜き棋士になった例はない。特例でチャレンジした女流棋士はいたけど、残念な結果となっている。

日本将棋連盟の思惑は明らかだ。現在の「白玲戦」スポンサーへの配慮。賞金額アップへの返礼の意味もあるだろう。また、女性棋士を誕生させることで新たなスポンサーを獲得できるメリットも見込める。

何かと言うと「女性差別だぁ~!」と騒ぐ朝日が、女性への特例はすんなり認めてしまう。朝日は選択的夫婦別姓問題で、女性の95%が夫の姓に改姓していることを「不平等」と社説で主張した。制度上はどちらの姓にしてもOKなのに、あたかも女性のみが不平等を被っているかのように書いた。(「朝日新聞が言う『夫婦同姓は不平等』は間違っている」参照)

それを考えれば「女性優遇だ、男性への逆差別だぁ~!」と書かないといけないのではないか? 朝日の価値観では、女性優遇なら何でもOKなのか? ダブスタだろう。

将棋に男女の能力差があるとは思わない。ただ過去に女性が棋士になっていないのも事実だ。少女世代の将棋人口の少なさなのか、遊びも含めた将棋に対する環境面の問題なのか。ジャーナリズムを気取るなら、そういうところの深掘りが必要なのは当然と思う。

それなくして、女性棋士を増やすという根本的な解決には結びつかない。下駄を履かせてもらう女流棋士に対し「新しい挑戦 見てみたい」とはしゃぐ姿には笑ってしまう。朝日の浅はかさが良く表れている。

もちろん「白玲戦」5期は大変なことだと理解はしているが、男性と競った上で自ら勝ち取るからこそ意味があるのではいか。


朝日新聞が「選択的夫婦別姓制度」を支持し、導入に前向きな論調を続けていることは承知している。5月17日にも「夫婦の姓 拘束外し真摯な議論を」との社説を掲載。なかなか進まない国会審議に、ある種のいらだちを感じているようだ。

朝日がどんな社論を元に社説を書こうが、別に構わない。「ご自由にどうぞ」でしかない。しかし、この社説内にはいくつか違和感のある表現がされている。

ひとつは夫婦同姓が続くことを「不平等の固定化を見過ごすのか」と批判していること。不平等? 何が不平等なのか。不平等を強いられているのは誰なのか。

推定するに、女性が夫の姓に改姓することを不平等と言っているのだろう。しかし、女性の改姓を強要する法律はない。夫婦のどちらの姓を選択するかは、当然「自由」だ。朝日は何を言っているのか。

「現実には95%は女性が姓を変えている」と朝日は書く。個人的にはデータを知らないが、そうのだろう。だからと言って、何が不平等なのか? 夫婦で話し合って(相談)して決めているはずだ。夫婦によっては様々な事情があるかもしれないが、それは夫婦同姓を批判する理由にはならないはずだ。

日本のこれまでの社会通念が、女性が男性側の姓への改姓が常識とされてきたことは否定しない。その社会通念が不平等の温床だというなら、そう書かないといけない。だったら「時代も変わってきているのだから、男性の考えも変わらなければならない」と主張すれば良い。現行制度(法律面)が不平等だと言うのは論理が飛躍している上に、明らかに間違っている。

ふたつめは「婚姻前から築いた仕事上の実績や評価の断絶は深刻だ」と言っていること。実績や評価が断絶しているとは何? 身近で結婚を機に、仕事上の実績や評価がリセットされたという個別事例を知らない。

姓が変わったことで同一人として認識されにくいということはあるかもしれない。また、改姓によってクライアントとの信頼関係が損なわれるリスクは否定しない。しかし、それを「断絶」とは言い過ぎだろう。

それとも、朝日内では女性記者や社員が結婚で改姓した瞬間、実績や評価が「断絶」される会社なのか。そうだとしたら、それは朝日固有の問題だな(苦笑)。

朝日は夫婦同姓(改姓)を「不平等」やら「断絶」などと言うが、法律上も制度上でもそんなことはない。朝日の言いたいことの裏にあるのは、結局「イデオロギー」ように思えてしまう。

繰り返しになるが、朝日がどういう主張をしようが構わない。ただし、もう少しロジカルな主張にしないといけないのではないか。「自分らは絶対的に正しい」という左派系にありがちな傲慢さが垣間見える社説だと言える。


SNSへの投稿で名誉を傷つけられたとして、女性支援団体がユーチューバーの男性に損害賠償などを求めた訴訟で、東京高裁は賠償と投稿削除を命じた一審・東京地裁判決を支持し、男性の控訴を棄却した(4月17日)。

これを受け、女性支援団体は会見で「発信が事実を歪曲して行われたデマであることが認定されたので良かった」とすると共に、男性が一連の訴訟をめぐってネット上の発信を通じてカンパを集めたり、裁判書面の販売などで収益を得ていることを念頭に「加害すればするほど儲かる」と話した。

朝日新聞は4月25日から29日にかけて「拡散された投稿は『デマ』だった それでも続く女性支援団体への中傷」「やまぬ中傷 攻撃する側の原動力は 『法の不備も被害深刻に』」「『デマの収益化』、歯止めを 女性支援団体誹謗巡る訴訟」と、立て続けに女性支援団体目線での記事を連発。

この女性支援団体は朝日のお仲間なのでしょうがないけど、日本は三審制なので少し抑制的にしたらと思ってしまった。まあ、それはさて置き。

朝日記事の見出し「『デマの収益化』、歯止めを」を見た率直な感想は、「朝日はデマで相当儲けてきたよな」。事実を伝える紙面に「デマ(捏造)」を堂々と載せ、それを販売し儲けてきたのは誰だ?

「慰安婦捏造」や「サンゴ捏造」が有名だが、古くは昭和25年(1950年)の「伊藤律会見捏造」からやっている。普通の企業なら再発防止を徹底して、2度とこういうことが起こらないような対策を行うものだ。ところが朝日は、これ以降も数え切れない「捏造記事」を連発。

平成17年(2005年)「NHK番組改変捏造」では、いまや大流行となった「第三者委員会」を考案し、自ら「デマ(捏造)」の検証を行うことを放棄している。これは第三者という名のお仲間から大甘裁定を出させることで、その責任からも逃れることに成功した妙手となった。

原発事故関連では、当初から「捏造」「ウソ記事」ばかりだった。そして未だに福島県に風評被害を与え続けているのも朝日だ。「処理済み汚染水」って何だ? なぜ「フクシマ」と表記する? 最近も新しいネタ作りか知らないが「ジョセンド」なんて言い始めた。いい加減にしろ! と言いたい。

朝日をちょっとだけ擁護するなら、その目的は儲けようとしてではなく、日本(人)を貶めることや政治思想的に異なる人物を葬ることだった。擁護になってないか(苦笑)。ただ、結果的に儲かったのは事実だ。

朝日ほどの詐欺会社はない。「捏造記事」「ウソ記事」が載っている新聞など欠陥品(紙)としか言えない。それでカネを取るのだから、こんな悪徳企業はない。それが朝日だ。


立憲民主党が夏の参議院選挙の公約として、食料品の消費税率を原則1年間に限って0%に引き下げる案を盛り込むことを決めた。これを朝日新聞が批判する社説を掲げた。「消費税と野田氏 減税公約の重みと疑問」(4月27日)

社説で朝日は「消費税は社会保障などの公共サービスを支えるための安定した税だ」「その役割を重くみて13年前に増税を主導したのが野田代表だ」「そんな野田が期間限定とは言え減税へかじを切ったことには疑問を禁じ得ない」と、やんわりだが批判している。

朝日は以前から「消費税増税派」だ。安倍元首相が2度にわたって増税を延期した時には、口汚く罵るような社説を書いていた。平成元年(1989年)の消費税導入時、「100円ラーメン」捏造記事まで書いて消費税を批判していたのはウソのようだ。まあ、きちんと理由を明確にした上なら、論説が変わることは否定しないけどね(しかし朝日はきちんと説明していない)。

消費税率の維持もしくは増税が社論の朝日からすれば、消費税の重要性を理解している(はずの)野田が減税を公約としたことが許せないのだろう。朝日は野田を買いかぶっているようだが、野田は経済音痴で財務省からすれば「使い勝手よしひこくん」でしかないのだ。

朝日が「世論調査の支持率で国民民主党に後れをとる立民が、党内の分裂回避を優先したと映る」と言うのは、間違ってはいない。前半部分は立民に配慮した書き方をしているが、朝日だって「他党に遅れるな」という公約なのは分かっているはずだ。

公明党が減税を言い出したことを「減税に追随」と書くなら、立民の公約もそう書かないといけないだろう。立民を過保護に扱ってもしょうがないだろう。こういうところが立民が国民政党に成長できないことと無縁ではないと思うぞ。

朝日は「いま消費税の減税が必要な情勢なのか。物価の先行きは不透明だが、エネルギー価格の高騰は落ち着きつつあり、賃上げが広がる。(政府の物価対策などが)不十分なのか、まず精査が欠かせない」と書く。まさか政府の物価対策などを「高評価」しているのか? だとしたら、岸田と石破が泣いて喜ぶぞ。

国民の多くが「消費減税」を望んでいることを朝日は理解しているのだろう。だからこんな中途半端な減税批判になる。消費税の位置づけ・役割りなどを踏まえ、社論に自信があるなら、はっきり「減税は枝野の言うように無責任なポピュリズムだ」と書けばいいのに。

関連
 「朝日新聞の『100円ラーメン』捏造記事」
 「野田は『使い勝手よしひこくん』から脱却できるか?」

↑このページのトップヘ