
卒業式の最中「『君が代』は歌いません!」とのプラカードを掲げる父兄。余りの非常識さに呆れるしかない。子どもの卒業式を自分(もしくは自家)の政治的アピールの場とでも考えているのだろうか?
こういうのを迷惑行為と言う。自分の主張を訴えたいなら、他人に迷惑を掛けないよう「自分だけの場所」で行えと言いたい。こういう迷惑左翼は「自分の主張は絶対的に正しい。だから何をやっても許される(場合によっては法を破っても)」と考える。
こんな左翼に限って、他人が自分の意に沿わない主張を行うと妨害する。例えば、同様に卒業式で「天皇陛下万歳! 君が代賛美!」とかいうプラカードを掲げた父兄がいたら、こういう連中はどうするだろう?
「そんな物を掲げるな!」を騒ぎ出すだろう。さらにはプラカードを奪い取る、式から追い出そうとするなどの実力行為に出ることすら予想される。自分は何をやっても許されるが、他人には認めない。そんな連中だ。
とにかく、こういう連中は自分が絶対なのだ。「多様性を認めろ!」と声高に主張する一部の人ほど、実は自分の「同一性・同質性」しか認めない。泡沫左翼政党や立民の一部議員がその典型だ。
歌いたくないなら黙っていればいいだろう。それ以前に、卒業式に「君が代」が歌われるのは公立校なら当然だ。嫌なら出席しなければいいではないか。子どもの晴れの卒業式なのだから出席したいと思うのなら、最低限のルール・マナーは守れと言いたい!
卒業式は誰のために行われる式か? を考えれば、自分の行いがいかに恥ずかしいことか分かるはずなのだが、こういう連中には分からない。式の主役はお前ではないぞ。一番の被害者は卒業式の主役である卒業生とそのご家族。「迷惑だ、外でやってくれ!」と思ったはずだ。
話が少し逸れるが、君が代斉唱時に起立しない公立校教員も同様だ。公私の区別のつかない見苦しいヤツ。愚か者と言って良い。「君が代は嫌だ」という「私」と、「公立学校の教員」という「公」が分かってない。こういう教員は何かというと「思想・信条の自由」を持ち出す。
「思想・信条の自由」は否定しないが、「公立学校の教員」という「公職」に就いている限り、「私」よりも「公」が優先されるのは当然だ。お前らの給料はどこから出ていると思っているのか。「私」を優先したいのなら、君が代を歌わないで済む私学を探して採用してもらえということ。
これらの行動を見ても、左翼が嫌われる理由がよく分かる。恥という言葉を知らない恥ずかしい連中だ。
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