兵庫県議会調査特別委員会(百条委)委員だった元県議(50)が死亡したことを受け、「オールドメディア」が一斉にSNS攻撃を始めた。SNSによる誹謗中傷がその原因だとしている。これには少し違和感があることを書いた。
(「『オールドメディア』の信用回復は望めない」参照)
そんな中、日テレの夜のニュース「ニュースZERO」で藤井貴彦が次のような主旨の発言を行った。悪質なSNS投稿を戒めるものだ。
「質の低い投稿には、努力や工夫や思いやりが足りないということです。言葉で人は⚫にます。その言葉や認識が間違いでしたと後で謝っても命は戻りません。送信の取り消しを押したとしても、既読の相手には必ず悲しみが残ります」。
番組が用意した原稿なのか藤井自身の言葉なのかは知らないが、一般論としては間違ってはいない。確かに間違っていないのだが、どうしても「じゃあ、自分らはどうなんだ」「自分らのことは棚に上げて」との思いが強くよぎる。
なぜSNSが急速に広がり、強い影響力を持つようになったのかと言えば理由は簡単。情報を独占していた「オールドメディア」がウソ八百を垂れ流し、好き勝手に印象操作を行い、自分らに都合の悪いことは一切報道しないことがバレたからだ。そして、それを暴いたのがSNSだ。
斎藤知事への「パワハラ疑惑」と称する報道を見返してみれば分かる。堂々と地上波で「人⚫し」と発言した自称識者がいる。こんなクズを使ったTV局だは訂正・謝罪したか? 「おねだり」報道もデマだと判明しているが、訂正・謝罪したか? デマを流した側の人間に、なぜ取材しない?
兵庫県の問題に限らない。オウム真理教と闘っていた弁護士事件、同じく松本サリン事件のえん罪事件。さらには現役の農水相の件など。これらは「オールドメディア」の報道や体質が起因しているのではないか?
現在も日常的に「オールドメディア」の「ウソ・捏造」「悪質印象操作」「偏向報道」が罷り通っている。人の生死の問題だけではない。偏向報道は人を煽動することを忘れてはならない。
あえて藤井に言いたい。「質の低い報道には、努力や工夫や思いやりが足りない」のではないか? 「その報道や記事が間違いでした」と謝りもしない「オールドメディア」に存在する価値はあるのか? 「報道で人は⚫にます」ということを、自らは考えたことがあるのか?
「自分らのことは棚に上げて」好き勝手なことを言うな。なぜ「我々も自戒を込めて」「我々も十分注意する必要がある」とか言えないのか? うぬぼれるなと言いたい。
「オールドメディア」こそ謙虚にならないといけない。それを自覚できていない「オールメディア」に再生の道は開けない。まあ、中の連中は自分らが「崖っぷち」にいることすら理解できていないのだろう。崖下に落ちた後になって気づいても、もう遅いってことさ。
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