「兵庫県知事選に異議あり! 真相究明県民集会」なる集会が開催され、記者やジャーナリストを自称する極左活動家の望月衣塑子が参加した。

望月は壇上にあがりマイクを持つと、「(元県民局長は)すごく人徳があったので2つの学園の理事か理事長で呼ばれていて、悠々自適な生活が見えていた。(中略)そのまま悠々自適な生活ができたにもかかわらず、自分を犠牲にして抗議の告発を出した」(要約)と発言した。

公務員が「悠々自適な天下り生活」を送ることを容認している発言だ。あらら、過去の天下り批判はどうしちゃったんだ。

この発言を聞いて思い出したのが、望月の一応の所属である東京新聞の前川喜平(元文科省事務次官)に関しての報道。

前川が文科省の組織的天下り斡旋に関与していたことに対して、「教育行政をつかさどる者は高い倫理観が求められる。その立場にある者が法律を平然と犯す一方で、道徳教育を推進し人の道を説くのは滑稽だ。官僚自身に倫理観や遵法精神を教え込んだ方がいい」(要旨)と批判していた。

ところが前川が安倍首相(当時)や政府の批判を始めると、途端に「今は禁じ手の天下り問題で処分されたくらい部下の面倒見がよく、『ミスター文科省』と評されたという」と手のひら返し。

「倫理観も順法精神もなく天下り斡旋を差配していた極悪人」が、「天下りさせてやるなど部下の面倒見の良いミスター文科省」となる。同じ人物評がこうも変わるか? ってほどの変わりよう。しかも、批判していた天下りまで容認してるし。

これが左派系お得意のダブスタ。結局は批判が目的なので、使えるとなれば(お仲間認定)評価を180度変えてもなんとも思わない。こういうのを恥ずかしいと思わないのが左派。なぜなら恥という言葉を知らないから。

望月もまったく同様。批判さえできればOKなので、元県民局長が公用PCに恥ずかしい私的な文書などを入れていても問題にしない。明らかなウソやデマを流布していたことも気にしない。もちろん下半身がルーズであっても関係ない。

お仲間である稲村和美を落選させた憎っくき斎藤知事が批判できれば何でもいい。それは会場に集まった左派系のジジババも同じだ。このジジババの内、どれくらいが兵庫県民なのだろうか?