兵庫県知事選は11月17日に投開票が行われ、前知事の斎藤元彦氏が再選を果たした。
(「兵庫県知事選はオールドメディアの敗北だ」参照)

オールドメディアの敗北と言われる兵庫県知事選。今回は稲村氏の敗因について考えてみた。個人的に思うのは、選挙戦略の間違い(ミス)だ。稲村氏が主に訴えていたのは斎藤前知事批判だ。

あれだけオールドメディアがこぞって「疑惑」を事実のごとく報道すれば、それに乗っかりたくなるのも理解できる。先の衆院選で立民が「裏金がぁ~!」しか言ってないのに50議席も増えれば、あながち間違っていないように見える。

しかし衆院選と違ったのは「真実の告発者」が現れたことだ。斎藤氏の「疑惑」の多くは「(被害者とされていた)公益通報者」の自己保身でしかなかったことが暴露された。これがなかったなら稲村氏は楽勝だったろう。選挙戦略も破綻しなかったと思われる。

稲村氏が批判する斎藤氏の「疑惑」は、みるみる的外れな批判に化した。この頃はまだ選挙戦中盤だったので、戦略の変更が可能だった。きちんとどういう兵庫県にするのかなど、政策面で斎藤氏との対比(違い)を出すべきだった。

それなのに相変わらず斎藤氏批判の演説しか出来ず、当選したら何をやるかもさっぱり分からず(報道ベースで)。批判からは何も生まれないことを賢い有権者は理解している。現在の国会で立民の存在感がまるでないことが、その証拠と言える。政策を訴えて議席を増やした国民民主にすべて持って行かれている(党首の変な話題も含めて)。

有権者(国民であり県民)が何を求めているのか? それは何をやるかだ。「批判のための批判」からは何も生まれない。稲村氏は立民の轍を踏んだということ。

それに応援団も酷かった。極左活動家が出てきて斎藤氏の選挙妨害を始めた。斎藤氏が稲村氏を急速に追い上げている時期だったので、稲村氏側との関連性が疑われることとこととなった。これは相当なマイナスに働いた。しかも立民や社民の極左議員まで現れて。すべてが稲村氏の「お仲間」と有権者には理解された。

そして、とどめは22人の市長有志の支持表明。この時点では斎藤前知事の功績(改革)が広く知らしめられており、改革に反対し既得権益にしがみつく古い首長連中との連携と有権者からは見られた。さらには相生市長の「机ドン」。どっちがパワハラだと大ブーメランとなるおまけが付いた(苦笑)。

とにかく極左活動家の出現と22人市長有志の支持表明は、いずれも最悪のタイミングだった。稲村氏と深い関係にあったのか、いらぬお節介だったのかは知らないが。

兵庫県知事選の結果を左右したキーワードは、「真実の告発者」「極左活動家」「机ドン市長」だろう。これらのことから、いつもの流れとは違う結果になったことは、いろいろな意味で面白い知事選だったと言える。