誰にでも思想・信条の自由はある。表現の自由もある。だからと言ってそれを無条件に発信すると、場合によっては軋轢を生む場合もある。そんな当たり前のことを思い起こさせるXのポストが、タイムラインに流れてきた。
ポストには朝日新聞(2015年6月2日)の「声」に投稿された74歳(当時)の方の文章が添付されている(ちょっと古いが)。
内容を要約すると、「地元のグランドゴルフ会に参加している。クラブケースに『憲法9条改悪反対』『集団的自衛権行使反対』と言うスローガンを付けている。ゴルフ仲間から『我々も同じとみられる』『外してくれ』『迷惑だ』と言われた。安保法制が現実のものになれば、子や孫が戦場に送り込まれる可能性が出てくると心配にならないのか? それからゴルフには行っていない」というもの。
自分は正しいことを言っているのに、分かってもらえない。なぜだ? 自分は被害者だ! ってところだろう。ところが、これこそがこういう思想を持っている人(はっきり言えば左派と分類される人)の典型的な思考回路だと言うこと。
「自分の考えは絶対的に正しい(正義だ)。それを主張するのは当然だ。それを理解しないのはおかしなことだ」。時にこれにプラスして「だから何をやっても許される」。
確かに、ある意味あながち間違ってはいない(最後の「何をやっても許される」は、法令違反などは論外だが)。個々人がどのような考えを持っていても構わない。そこに「正誤(正しい間違い)はない」。
しかし、この思考回路にすっぽり抜け落ちているものがある。それは「TPO」や「他人の考え」であり、そのことへの「想像力」だ。
ここに今集まっている人の目的は何か? ゴルフ仲間がどんな思想(考え)の持ち主なのか? ゴルフを行うことが目的の場所で、ゴルフに関係ない自分の意見(仮に正しいからといって)を、これ見よがしに主張することに対してゴルフ仲間がどう反応するかの想像力。
ゴルフ仲間からすれば「TPOをわきまえないヤツ」「周りが見えない(視野が狭い)ヤツ」「想像力のないヤツ」。
「想像力不足」に関してもっと分かりやすく言えば、ゴルフ仲間が「憲法9条改正賛成」「集団的自衛権行使賛成」というスローガンをクラブケースに付けていたら、この投稿主はどう思うだろうか? 「私も同じとみられる」「外してくれ」「迷惑だ」って思うんじゃないか?
最初に書いたように、誰にでも思想・信条の自由はある。表現の自由もある。だからと言ってそれを無条件に発信すると、場合によっては軋轢を生む場合もあるということだ。いろいろな考えの人が共存しているのが社会というもの。時に議論し、時に理解し合って行くのが、社会(地域コミュニティーと言っても良い)のあり方だと思うけどね。
もちろん、主張するなと言っているわけではないし、自分の考えを曲げる必要もない。しかし「TPOをわきまえる」「相手のことも理解する」「想像力を働かせる」ことも重要だということ。
以下は投稿主さんと同じような考えを持った人たちの行動。
電車内の広告の上に「アベ政治を許さない」ステッカーを勝手に貼る(写真上)。同じスローガンを小学校の教室内に貼る(下)。これが「ノダ」「タムラ」「ミズホ」「タロウ」だったら? (左派の人は今誰支持してるの?)
市中の共用七夕飾りに「アベが辞めますように!」との飾り付ける。個人の七夕飾りではなく、共用のものにだよ。これが同様に「ノダ」「タムラ」「ミズホ」「タロウ」だったら?
新幹線内から「戦 争 反 対」のボードを外に向かって掲示する。これが「憲 法 改 正 賛 成」だったら?
恐らく投稿主さんも「みっともない」「恥ずかしい」と思うのではないか? 自分のやっていることも、そういうことだということ。現在も左派の人たちは同じことをやっている。自分たちは周りからどう見られているのか? それくらいはいつも考えてから行動した方が良いと思うぞ。
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