週刊新潮の萩生田光一議員の選挙戦での記事を「視点がずれていないか?」と批判したが、今回もその記事から。(「週刊新潮よ 記事の視点がずれていないか?」参照)

記事中に「政治部デスク」という人物が選挙戦について解説している一文がある。それによると「萩生田候補と相手候補との差は8,000票と僅差。国民民主と維新の候補がそれぞれ2万票前後を獲得しているので、仮に野党共闘が成立していたら萩生田候補に勝ち目はなかった。いわば敵失に救われた形です」(要約)だそうだ。

週刊新潮内に「政治部」があって「デスク」という肩書きの人がいるのか、どこかの新聞社の「政治部デスク」に取材した結果なのかは知らないが、まさにこの発言が現在のメディアのダメさ加減を良く示している(恐らく、どこかの新聞社の「政治部デスク」の発言だと思うが)。

どういうことかと言うと、このデスクは「野党共闘」(つまりは候補者の一本化)が望ましい形であると考えている。しかも、それをしなかった(できなかった)のはミスとまで言っている。野党候補の得票を足し算すれば勝っていたということ。アホらしい。単純に足し算になると思っているところが、思いっきり浅はかだと言える。

候補者を一本化するということは、その後の国会活動で共闘することだ。さらに進めれば連立政権を組むということだ。そこには政策の一致が必要なのは言うまでもない。選挙の時だけ見かけ上の共闘をして、国会活動はバラバラにやるなどは有権者への裏切りになる。

なぜ革マル枝野時代の立民は、共産まで含めて共闘しても安倍自民党に勝てなかったのか? 簡単である。政策の一致もない「野合」だったからだ。選挙目的の中身のない数合わせだからだ。もちろん、ごく一部の選挙区では成果も出た(足し算になった)かもしれない。

しかし全部が足し算になっているなら、革マル枝野率いる立民を筆頭に圧勝しないとおかしい。有権者はそんなにバカじゃない。希望の党(民進党が合流)や立民(選挙目当てでゾロゾロ合流)は、その時の選挙に勝てたのか?

逆に「野合」は有権者の選択肢を奪うことにもなる。今回の衆議院選での比例得票を見れば、有権者がどの政党に投票したかったかの目安になる(前回衆議院選との比較)。
 自民  -533万票
 立民    +7万票
 国民  +358万票
 公明  -115万票
 維新  -295万票
 れいわ +159万票
 共産   -80万票
 保守  +114万票(今回から)
 参政  +187万票(今回から)

自民の減少分を吸収したのはどこだろうか? 立民でないことは明らかだ。これも有権者の意思である。それなのに「政治部デスク」と称する者は、未だに「野合」すれば選挙に勝てるなどと考えている。有権者の意思を見極められない無能だということ。