週刊新潮に「僅差で勝った萩生田光一は『変な活動家が気持ち悪かった』」とのタイトルの記事が載っていた。タイトルからすると立民公認の対立候補の応援をしていた極左活動家を批判・揶揄するものかと思い読んでみた。

記者の「逆風、すごかった?」との質問に、萩生田候補が「そうだね。なんか、変な活動家みたいな人がたくさんいて気持ち悪くて」との回答したことに対し、「(裏金問題を)批判する人々を『変な活動家』などと表現するとは、やはり反省が足りないと見受けられる」というのが記事の結論のようだ。

「変な活動家みたいな人」がたくさんいたことは事実だし、その人たちが「表現の自由という名の選挙妨害」をしていたことも事実だ。さらに言えば、この人たちは立民候補の昔からの「お仲間」であるとされる。

これらの事実関係を踏まえた上で、「(裏金問題を)批判する人々を『変な活動家』などと表現するとは、やはり反省が足りないと見受けられる」と持って行くのは、ちょっと違うのではないか? 何か特定の意図を感じざを得ない。

個人的に萩生田候補(もう議員か)を特段支持しているわけではないが、記事の視点が歪んでいるのは明らかだろう。週刊新潮の「裏金」の定義は知らないが、野党候補者の「不記載」や「公選法違反」をどう記事化していたのだろう? と思ってしまう。

週刊誌(新聞もだけど)にはTV局を縛る放送法の様な規定がないので、どんなに偏った視点で物事を見ても自由だけど。まあ、こういう記事の方が売れるのかな。

ところで、この記事中の別のトピックスは、この「変な活動家みたいな人」のひとりが「(萩生田候補を批判する)プラカードは自分で作ったわけではなくて、〇〇さん(立民候補者)の事務所にあったものを借りました」と証言していること。

「変な活動家みたいな人」と「立民候補者」が「お仲間」だったことが、事実として証明されたわけだ。週刊新潮はこっちを突っ込んだ方がいいのではないか? もう既知のことすぎて記事にならないか(笑)。