死刑執行を当日に告知するのは憲法に違反するなどとして、確定死刑囚2人が国を相手取り、計2,200万円の損害賠償などを求めた訴訟の判決が大阪地裁であった。判決は原告の請求を退けた。
死刑制度に反対している朝日新聞は、この裁判に「ちょっと」期待していたようで判決前から「お涙頂戴」的な感情論記事を書いていた。まあ、朝日にとっては残念な結果となった(まだ一審だが)。
実は朝日は2022年11月に社説「死刑当日告知 見過ごせぬ手続きの闇」で、やはり当日告知を批判していた。「当日告知は憲法や法律に照らし、強い疑念がある」と「憲法違反だぁ~!」と言わんばかりだが、実質ただの感情論の駄文だった。
しかも、たちが悪いのは朝日お得意の「(朝日にとって)不都合な事実」を伏せて書かかれていた。それは前日告知(一時期行われていた)をした死刑囚が錯乱状態になり、前夜に自殺してしまったことを朝日は隠した。
(「朝日新聞は不都合な事実を隠して社説を書いている」参照)
「前日(もしくは事前)告知」が良いか悪いかは、どちらもメリット・デメリットがある。事前に告知を受け、気持ちを整理し、おだやかに整然とそれに臨む死刑囚もいるだろうが、上記のように錯乱してしまう死刑囚もいる。
朝日は特定の意図、つまりは自分らの言い分に読者導こうと(簡単に言えば印象操作)恣意的に記事を書くから信用されない。しかも、不都合な事実を隠してまでもだ。
今回の原告である死刑囚は「適正な手続き」に反すると手続き論を言っているが、こんなの先延ばしを狙っている以外の何物でもない。不法入国者が「難民」申請を繰り返し、その間不法に居座ろうとしているのと同じだ。
さらに「執行期日が事前に知らされないために地獄の日々を送っている」とも主張している。感情論的には分からなくもないが、それを死刑囚が言ってはいけない。被害者がどんな気持ち・思いだったか考えろと言いたい。お前らが感じている以上の恐怖心を、被害者は感じていたはずだ。
死刑囚だからといって「市中引き廻しのうえ、打ち首獄門」で良いとは言わない。しかし自らの犯した罪の重さを考えれば、「オレらにもいろいろ配慮しろ!」と声だかに叫ぶことには違和感を感じる。
死刑囚は懲役刑による受刑者とは違う。刑務作業などはなく、比較的(あくまで)自由が与えられている。TV鑑賞、新聞購読も可能だ。死刑へのストレをなるべく与えないよう配慮されている。それはきちんと理解すべきである。
この裁判を死刑囚が自ら積極的に起こしたのか、俗に言う「人権派弁護士」が主導したのかは知らない。しかし、これは「被害者よりも加害者側の人権をより重く考える」という現在の法曹界の悪い面が出ていると感じる。
話を朝日に戻すと、朝日は元死刑囚の免田栄さん(故人、再審無罪)の言葉を持ってきて、当日告知などの運用見直しを訴える記事を、判決言い渡し直後にアップした(「『刑務官の足音に奥歯かみ、耳澄ませる』 告知待つ死刑囚の心境は」)が、この記事は前提が違う。免田さんは「えん罪」だったのだから。
死刑判決を受けるほどの重罪を犯した犯罪者と、免田さんを同じに扱ってはいけないのは当然だ。免田さんは、元々この恐怖に怯える必要性のない人だったからだ。朝日の記事は免田さんにも失礼だ。
最後に、個人的には事前告知でも良いと思っている。心を安寧に保ち、整然とその時に臨めるならば。しかし、先に書いたように当日告知・事前告知のそれぞれにメリット・デメリットがある。
すべての受刑者が「事前告知」を望んでいるかは不明だ。朝日(+人権派弁護士)の独りよがりかもしれない。まあ、朝日はこういうことを足がかり「死刑廃止」に世論を誘導しようとしているのが見え見えだから気持ち悪い。まあ、その割にみな底の浅い記事(論調)なのは笑うしかないが。
コメント