高崎市の県立公園「群馬の森」にある朝鮮人労働者追悼碑(以下、追悼碑)の設置更新を巡る訴訟は、最高裁で管理団体側の上告を棄却する決定が出されたことで、「(設置)更新不許可」が確定している(2022年6月)。

しかし管理団体側が撤去に応じないため、群馬県は「行政代執行により撤去する方針を固めた」。これを東京新聞も報じている。「群馬の森『朝鮮人追悼碑』代執行で撤去方針 それで『政治的な紛争』はなくなる? 抗議が止まらない理由とは」(1月22日、署名は安藤恭子)。

これが余りに酷い内容で、およそまともな新聞とは呼べない代物。極左のプロパガンダと言うか機関誌並みと言うか。アジビラと言っても良い。まあ、東京新聞なら致し方ないか。ここは自称記者を名乗る極左活動家ばかりだからな。署名の安藤恭子が自称記者の極左活動家と言っているわけではないので誤解無きよう。

この記事をアジビラとまで言うのは、視点が一方的だからだ。追悼碑の管理団体側の言い分を延々と垂れ流しているだけ。しかも第三者としてで出てくるのはレベルの低い群馬大准教授と歴史研究家という名のお仲間。だから「記事」ではないと言っている。

記事の視点に欠けているのは「高裁及び最高裁判決」をどう考えているのか? と言うこと。安藤は気に入らない判決なら従わなくても良いと考えているのか? 追悼式での「政治的発言」をどう考えているのか?

さらに言えば、公共の県立公園であるということをどう考えているのか? 管理団体側は公共の場だからこそふさわしいと言っているようだが(記事内にある)、逆に公共の場だからこそふさわしくないとの考えもある(オレはそう思う)。

こういう考え方の違いは東京新聞の大好きな「多様性」ではないのか? 安藤は自分ら都合の良い考えは「多様性がぁ~!」って言うが、都合が悪いと「認めない!」と言うのか? ふさわしくないってのは差別でも何でもないぞ。オレは右側の碑などの造形物も認めないと考えているから。どっちも公共の場にはふさわしくない。県民の税金で運営されている公園とはそういうもの。

安藤はもう少し歴史を自ら調べた方が良いと思うぞ。管理団体側の言う事象ってすべて正しいのかってこと。特に記事内で歴史研究家が言ってること。それを前提に記事を書いているようにしか見えない。元々の安藤の考えかもしれないが。

安藤はこの「強制代執行」、つまりは碑の撤去を「歴史をなかったことにする」と捉えている節がある(Xのポスト内容から)。しかもその歴史は「強制動員(連行)」。赤旗の記事をリポストしていることからも明らかだな。

もちろん記録に残らない事実もあるので、記録だけでは分からないことも多い。日本にやってきた「朝鮮人労働者」が、「強制動員(連行)」か「自主的出稼ぎ」かというのは、簡単ではないが種々の側面を見て判断する必要があると思うぞ。

それなのに発言者のイデオロギーが入り込んだ内容を「歴史的事実」としてしまうと、その瞬間にその記事は一気に信憑性を失う。安藤の記事はそうなっているとオレは思う。だから記事ではなくアジビラと言っている。

*現在、群馬の森を臨時閉園にして撤去作業中。1月29日~2月11日の予定。開園したまま当該場所付近の遊歩道のみを通行止めにするのではなく、公園自体を閉めてしまうのは、左翼が大量に押しかけて工事を妨害するのが見え見えだからだろう。

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 「群馬の森 朝鮮人追悼碑『不許可は適法』判決は当然
 「群馬の森・朝鮮人追悼碑問題 管理団体などは最高裁判決に従え!
 など