朝日新聞を形容する言葉として「ダブスタ」「ご都合主義」などが挙げられるが、「自分に甘い」もよく言われる言葉のひとつだ。特に他社・他人を批判するときの元気の良い論調の裏に、「じゃあ、自分らはどうなんだ?」がつきまとう。最近の社説を読むと、改めてそう思う。

そんな感想を強く持った社説が「日大の不祥事 ムラ意識一掃欠かせぬ」(12月6日)だ。日大のアメフト部の大麻事件に端を発したゴタゴタに関して、朝日が上から目線でご高説を垂れている。

朝日は「一連の問題の責任を取り副学長と学長の辞任は決まった。だが、日本有数の教育研究機関として、それだけでは社会の信頼は取り戻せない。林氏ら経営陣には、解体的出直しを実行できるかが問われている」と鼻息が荒い。

上記文章をちょっと変えてみよう。「一連の問題の責任を取り木村伊量社長の辞任は決まった。だが、日本有数の新聞メディアとして、それだけでは社会の信頼は取り戻せない。渡辺雅隆氏ら経営陣には、解体的出直しを実行できるかが問われている」(現社長は中村史郎)。

韓国人慰安婦に関する「誤報(実質捏造)」や福島第一原発事故をめぐる「吉田調書」に関する「意図的曲解」を受け、朝日は世間の批判にさらされた(2014年)。日大を批判する社説の一部を「朝日」の内容に変えれば、そのまま当時の状況になるな。

日大に「解体的出直し」を要求する朝日。さて、朝日はどうだった?

身内を集めた「自称・第三者委員会」の大甘提言でお茶を濁した。特に林香里に「朝日の報道は国際的に影響がなかった」と強硬に主張させることで責任逃れを図った。林香里は、現在朝日の執筆陣のひとりとして囲われている。

本人に取材もしないで「連行された」と書いた植村隆の記事は「捏造」ではないとされた。なぜ金学順自身が「母親にキーセンに売られた」「養父に(慰安所に)連れて行かれた」と言っているのを報じなかった。第三者委ではなく朝日自身が判断しないといけないことではないか。

さらに、第三者委でも指摘された「(記事に)角度をつける」。「事実を事実として報じない」朝日をよくあわらす指摘だ。どうした? 対策を行ったんだろうな?

しかし、すべてにおいて「何もしていない」よな。2014年以降、朝日の「捏造」「悪質印象操作」「誤報」は後を絶たない。モリカケなんて典型的だ。「取材により事実関係を確認する」「取材により証拠を見いだす」こともせず、「疑惑だぁ~!」と言うだけ。

そんな一連の騒動の中で「安倍晋三記念小学校」との「捏造」をぶっ込む。謝罪も訂正もせず、「だって財務省内でそう認識されていたと『思われる』から」だってさ。恥ずかしくないのか。

慰安婦「誤報」や「吉田調書の意図的曲解」の教訓など、どこにも生かされてない。原発関連の記事なども、ほぼ「悪質印象操作」記事以外目に付かない。「処理済み汚染水」なんて、その良い例だ。

さらに言えば、令和への改元の際に採用されなかった他案を、「広至(こうし)」を「こうじ」、「万保(ばんぽう)」を「ばんほ」と報じた。明らかな間違い、誤報だ。しかし朝日は「おことわり」と題し、「朝日新聞は複数の政府関係者の証言に基づき報じましたが、別の関係者への取材で『こうし』『ばんぽう』だったと分かりました」。ここでも「誰々がそう言ったから」。

この「誰々がそう言ったから」は朝日の言い訳の定番だ。あの「歴史教科書問題(華南への『進出』)」も「ハンセン病患者家族訴訟」の「誤報」も同じ言い訳をしていた。「誰々がそう言ったんだもん」ではなく、「取材が不足していました。ごめんなさい」「間違えました。ごめんなさい」だろう。

こんな朝日が他社・他人には「解体的出直し」を要求する。笑い話にもならない。

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