ラグビーW杯は南アフリカの連覇で幕を閉じた。日本代表は惜しくも8強入りを逃したが、その頑張りに日本中が大きな拍手を送った。
ラグビーは一般的な他の競技と違って、代表選手に国籍条項がない。
(1)その国・地域で出生
(2)両親または祖父母のうち1人がその国・地域生まれ
(3)直前の5年間継続居住
(4)通算10年居住
のうち、どれか一つを満たせば選出可能だ。
今回の日本代表選手も33人のうち、外国出身の選手は16人にのぼる。リーチ・マイケルや具智元、ラファエレ、レメキなどは日本に帰化しているが、ラブスカフニやライリーなどは母国国籍だ。
これがラグビーなので、なにも問題もなければ気にすることもない。ただ、一部左派系メディアや文化人と称する人たちは、ラグビーのこうした特色を自分らの偏った思想の補強として利用している。つまりは「ラグビーの政治利用」だ。本当に辟易する。
朝日新聞は11月6日に唐突に「ラグビーW杯 多様な世界を広げたい」との社説を掲載した。W杯は10月28日に決勝が行われ、南アフリカNZとの激闘を制し2連覇を達成していた。閉幕から10日近く経って、何をいまさら?
朝日の社説は「国籍や人種、格差といった壁を乗り越えたい」で始まる。そして南ア主将のシヤ・コリシが同国初の黒人主将だと書く。そして、なぜか同国のアパルトヘイト政策と南アが準々決勝以降すべて1点差の試合を制したことを「彼の思いが凝縮されて映っているかのようだった」とこじつける。
シヤ・コリシ主将は前回のW杯(日本開催)時も既に主将だった。彼は主将として2連覇に貢献している。何をことさらに「黒人初の主将だ」などと書くのか。ラグビー界ではもう当たり前のことだ。
さらに、彼が黒人だということを過去の南アのアパルトヘイト政策と結びつけ、「彼の思いが凝縮されている」。こんなの印象操作以外の何物でもない。南アに対してもシヤ・コリシ主将に対しても失礼だろう。
実は朝日は4年前にコリシのことを書いている(「かつて『白人のスポーツ』 ラグビー南アに初の黒人主将」(2019年10月)。また引っ張り出してきたということ。
朝日は同様に日本代表選手にも「社会の多様性を考えるヒントにもなる」と書く。何が「社会の多様性」なのかは分からないが、朝日の考える「多様性」でしかない。左派系の自分たちの考えが絶対であり、他は認めないという「多様性」っぽいけど(苦笑)。
先に書いたように約半数が外国にルーツを持つ選手だが、日本代表選出をスポーツライクに(ドライ)に考えている選手はいない。みな本気で日本代表を誇りに思っている。だからリーチは外国出身の代表選手に「君が代」を教え練習もさせた。歌詞だけでなく、その意味もだ。「国歌の意味まで知ることが日本代表だと思います」という思いからだ。
2019年のW杯前には、代表選手は宮崎県日向市の大御神社を訪れている。ここには高さ約4m、周囲が約30mある日本最大級の「さざれ石」が祀られている。その前に立った選手たちは説明を聞き君が代を歌った。しかし、朝日はこれらのエピソードは絶対に報道しない。
さらに言えば、ラグビーではなぜ外国籍の選手が代表に選出できる規定になっているのか? という根本にも触れない。
多くの植民地をもっていたイギリス(ラグビー発祥)が、植民地出身者を代表に選出するかの判断をするときに認めたからというのは、その答えの半分だ。朝日もここまでは書くこともある。しかし、実質はイギリス人が植民地や統治国、居住先国の代表に選出されるため手段として、こういう規定になっているのだ。朝日はこちらは絶対に書かない。そこには「多様性」の欠片もなく、強国であるイギリス人の都合しかないからだ。
「多様な世界を広げたい」「国籍や人種、格差といった壁を乗り越えたい」などと言うなら、他のスポーツや五輪も「ラグビーを見習ったらどうか」って書けばいいのに。しかし朝日は絶対に書かない。なぜなら、「イギリス人が自国以外の代表に選出されるための手段」として始まったことを知っているからだ。
つまりは自分たちにとって都合の良い事実だけを並べて、自分たちに都合の良い論調にしているってこと。だから朝日を読んでも、物事はまったく理解できない。まあ、オールドメディアなんて似たり寄ったりだけどね。
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