朝日新聞8月16日の社説「『終戦の日』 心に響かぬ首相の誓い」は、毎年のことながら「朝日史観」で書かれた中身のまったくない代物だ。
まあ朝日の社説なので、朝日が好きに書けばいい。どれくらいの一般国民から評価されるかなんて、朝日も気にしていないだろう。極左仲間と手を取り合い、小さい輪の中でチマチマ好きにやればいい。絶滅しても誰も困らない絶滅危惧種なんだから。
ただ、社説中に「戦後70年の安倍首相談話にも盛り込まれた『痛切な反省』と『心からのお詫び』を決して忘れてはならない」って何? あれだけ当時腐していた安倍首相の戦後70年談話。都合良く切り取りして使うなと言いたい。
朝日新聞は2015年8月15日の社説で安倍談話を酷評した。
「いったい何のための、誰のための談話なのか」と書きだし「この談話を出す必要がなかった。いや、出すべきではなかった。改めて強くそう思う」と書く。そして「いったい何のための、誰のための政治なのか。本末転倒も極まれりである。その責めは、首相自身が負わねばならない」で締められている。
ただの感情論に終始した、論理的や合祀的との言葉もいらない、思いつくだけの批判の言葉を並べた文章で、朝日論説委員連中の敗北感をよく示していた。朝日がこだわった「侵略」「植民地支配」「痛切な反省」「心からのおわび」の4点がセットになっていなかったからだ。
あの(直接的な)文言がない、この文言がないとステレオタイプの批判に終始し、直接話法と間接話法の使い分けも理解できず、直接的謝罪がないとか騒ぐ無様なものだった。
その上「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と、謝罪は最後だよと明言したことも気に入らなかったのだろう。
安倍戦後70年談話には、保守層でも意見の分かれた「お詫び」が入っている。「何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実」「深く頭を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫の、哀悼の誠を捧げます」。そして村山戦後50年談話を引用する形(間接話法)で「我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました」。
ただ文脈から見れば、村山戦後50年談話のような平身低頭で、媚び諂うような「自虐史観」丸出しの文章とは大きく違うことは明らかだ。先の大戦への反省を表明した歴代内閣の立場を引継ぎ、その上で日本は「積極的平和主義」で世界の平和と繁栄に貢献していくと表明した。
そんな安倍談話を朝日はこれでもか! と批判した。それなのに一部の文言を切り取って「安倍談話にも盛り込まれた」とは、あまりに酷い印象操作ではないか?
朝日は当時の批判を取り消し、素晴らしい内容だったと再評価してから引用するべきではないのか? 朝日の世論調査でも「安倍談話を評価する 40%」で「評価しない 31%」を上回っていた。当時、朝日はお得意の「ダンマリ戦法」でやり過ごすという無様な有様だったな。
8年も経ったら誰も覚えていないとでも思っているのかね。クズは何年経ってもクズだな(苦笑)。
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