朝日新聞6月23日の社説「沖縄慰霊の日 記憶たぐる営みは今も」は、朝日の沖縄戦に関する考えは相変わらず偏っているなあとの感想。6月23日(昭和20年)は沖縄での旧日本軍の組織的な戦闘が終結した日とされ、現在は「異例の日」呼ばれている。

沖縄県の市町村などが、先の大戦における「沖縄戦」の記憶をたぐる営みを続けているという内容だ。記録、記憶を書籍にしたり講演会を開いたり様々だ。貴重な証言などを後生に伝えることは重要な活動だと思う。もちろん事実であることが前提だが。

そういう取り組みを紹介する中に、やはり朝日的思想に基づいた内容を突っ込むから、途端に内容が薄っぺらくていかがわしい物になってしまう。こういうのは逆に沖縄の人々に失礼だとも言える。

朝日が突っ込んでくるのは「沖縄は本土の捨て石にされた」。朝日はことあるごとに、この表現を使ってきた。他紙(毎日・東京・共同通信、及びその配信を受ける地方紙など)も追従している。

確かに地上戦が行われたのは沖縄のみだし、県民(一般人)の多くが亡くなっている。人数は9万4,000人から12万人ぐらいまで多少の幅があるが、いずれにせよ大人数であることに変わりはない。

さらには戦後も米軍に接収され、日本復帰が実現したのは昭和47年(1972年)のことだ。終戦から27年も経っていた。現在も基地負担(米軍、自衛隊)など、様々な面でのご苦労があることは承知している。ただ、基地がなければ沖縄が安全だとの論には賛成しないが。

当時の政府や軍部首脳が沖縄を盾にして本土を守ろうとしていたのは明らかだ。しかし、それは「捨て石」なのか? 捨て石とは囲碁において「意図的に相手に取らせることで利益を得るために打たれる石」のことである。

政府・軍部は沖縄を早々に明け渡して(つまり撤退して)も構わないとの方針で戦っていただろうか? 「捨て石」、つまりは沖縄を明け渡す前提で「そこそこ」に戦っていたのだろうか? そんなことはない。沖縄をどうにか防衛しようと最大限の努力をしていたと思う。

よく言われることではあるが、戦争最終盤には戦艦大和は片道切符(燃料)で沖縄に向かった。特攻部隊も連日知覧などから南方へ突撃して行った。「捨て石」にしては、多大の犠牲を払うことになったと言えるのではないか。

沖縄戦での軍人の戦死者は12万人を超える。軍隊(軍人)なのだからと言えばそうかもしれないが、「捨て石」にしては大き過ぎるのではないか。

別に沖縄戦を肯定する気はないし、沖縄の方々のご苦労を否定する気もない。ただ、沖縄は「捨て石にされた」とする朝日を始めとする左派系の言い分には賛同しない。また、現在の東アジア安全保障状況を意図的に無視し、日本全体が「戦争のできる国」を目指しているなどとする論調にもまったく与しない。