ツイッターのタイムラインに下記写真付きのツイートが流れてきた。

カエルの鳴き声 (1)
「田んぼの持ち主様へ」と題された苦情の紙だ。要旨は「カエルの鳴き声が煩く(騒音と書いている)眠ることができず、非常に苦痛だ。対応お願いします(近隣住民)」。

どの辺の地域だとか、どのような街並み(住宅地の近くに少々の農地なのか、農地が多い中に住宅地があるのか、とか)不明なのでなんとも言えない面もある。また、実際のカエルの鳴き声がどの程度の音量なのかも分からないので、一概に苦情主さんを批判するのも良くないとは思う。

とは言え、それにしてもちょっと・・・って感じではある。

ご近所のペットの犬の鳴き声が煩いとかありそうだが、犬が鳴くのは一時なのであまり揉め事にはならないのかな。仮に犬ならペットなので飼い主さんへの苦情も分かるけど、野生のカエルの鳴き声をその地主さん(農家)に言うのはどうなのだろう? 同じ音量の鳴き声でも気になる人と気にならない人はいるだろうから、難しいところだ。

「煩い!」と苦情を言う権利は誰にでもあるのだが、最近こういう事例が多いと感じる。「除夜の鐘が煩い」や「(幼稚園や公園の)子どもの声が煩い」が典型例だと言える。得てして、こういうことを言う人は少数派の場合が多い。長野市で公園が閉鎖された件は、苦情元は1軒のお宅のみだとされる。

もちろん1軒でも1人でも、その人からすれば大問題なのだろう。これは他人には分からない辛さなのは理解するけど。

ただ「世知辛い世の中になったな」と一言で片付けるのは、ちょっと違う気がする。何でもかんでも自分の主張を声高に訴えることを是認する風潮を、メディアが煽っていることと無関係とは思えない。他人や環境などへの協調・同調を求められると、直ぐさま「同調圧力がぁ~!」とか言い出すメディアもある(どことは言わないが)。

それに、ラウドマイノリティーの声ばかりを報道し、サイレントマジョリティーの声を無視する傾向が一部のメディアにはある。一言言っておきたいのは「少数派=弱者」ではないということ。

皆が想像するその某メディアが、もしこの件を取り上げたら間違いなく「苦情主さん=被害者」という位置づけで報道するだろう。そう言えば、コロナ禍の最中マスク着用を拒否し、一悶着起こした人を「同調圧力の被害者」として嬉々として報道していたなぁ。

カエルの鳴き声 (2)
写真のようなウィットに富んだ返しも出回っていた。

田んぼの持ち主様へ
ご迷惑をおかけしております。騒音ではなく自然音との司法の判断と皆様の声援を信じてめっちゃ鳴きます。かえるより