朝日新聞は「反原発」を社論にしている。だから今も毎日のようになにがしかの「反原発記事」が載る。2月21日には「『科学的には安全』なのに、反対されるのはなぜ? 高校生が考えた」という記事が載った。署名は福島総局の力丸祥子。

記事は福島県内の女子高生が「福島第一原発の処理水の海洋放出は『科学的には安全』なのに、反対の声があがるのはどうしてだろう。素朴な疑問を出発点に、福島の未来を考え問いかけた」と始まる。

「賛成派は国や東電が伝える科学的な安全や海洋放出することのメリットといった『正しい知識』に基づき、反対派は『正しい知識』を持っていない人と単純化して攻撃している」という。

この「賛成派が反対派を攻撃している」は明らかに力丸の考えなのだが、記事では主語をぼかし(朝日の得意技!)、ネット上での賛成・反対の議論からの帰結のようなニュアンスで書かれている。

しかも議論の帰結なら優劣の問題であるのに、そこに「攻撃」という語句を用いることで、賛成派による反対派への一方的な圧迫・圧力があるように印象操作を行っている。見え透いたセコい手法だ。

そして女子高生は「自分の中にも、これに近い思考回路があったかも」と考え、「対立の要因は、反対する人たちを理解しようという気持ちが足りないからではないか」と考えるようになったという。

記事は無料ではここまでしか読めないのだが、力丸のツイッターで結論らしきものが紹介されている。そこには「なぜ反対しているのかに目を向けて真摯に対応しなければ、本当の心配や不安を解消することができないと考えるようになった」。

なるほどね、実に朝日らしい。ある事象について、どう判断するかは千差万別・十人十色。「いろいろな考えあるので相手を理解しろ」と言われれば、なんとなく尤もらしく聞こえる。でも、これこそ朝日が「科学」を「感情論」にすり替えている証左と言える。

例えとして、「1+1=2」に対し「オレは2だとは思わない」という意見はどうだろうか。これに真摯に対応しなければ問題は解決しないのだろうか。個人的には「処理水問題」はこれに近いと考えている。

算数の問題としては、答えは「2」以外にはあり得ない。しかし原発の何から何までも許せないという人たちからすれば、何をどう説明しても絶対に理解することはない。「1+1=2」は「違う!」「ウソだ!」となる。

「1+1=2ではない!」という意見には閉口するしかない。しかしおそらく多いのは「東電や国の言っていること(濃度や環境・人体への影響など)はウソだ」。つまりは「どこかにウソがあるから、1+1=2は成り立たない」との理屈だろう。実際にSNSなどで見かける。

女子高生が先に書いたように考えるようになったのなら、それはそれで構わない。ただ「1+1=2ではない!」「どこかにウソがあるから1+1=2は成立しない」などの意見に対し、どう真摯に対応すればいいのだろうか? 「1+1=2」が説明しようがないように、「科学的に問題ない」も説明しようがない。

朝日は「誠心誠意、丁寧に説明しろ」と言う。ところが、そんな朝日は処理水の科学的安全性について一切言及しない。朝日の社論である反原発のためには「科学を振りかざすな」(編集委員・佐々木栄輔)と感情論に話をすり替える。「処理済み汚染水」「放射性物質を含んだ処理水」などと表記するのは、その典型と言えるだろう。

つまりは「丁寧に説明しろ」と言う朝日が、実は裏でその不安を「これでもかっ!」って程に煽りまくっているわけだ。本来のメディアの役割は「事実を事実として書く」ことだ。だから処理水も「科学的に安全」なのだから「風評を煽ってはいけない」と書かねばならないのは言うまでもない。

それがまっとうなメディアの責任だろう。

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 など多数。