朝日新聞の論座に「玉川徹バッシングの真の危機とは何か - 政治問題化した背景」という記事が載った。筆者は柴山哲也。柴山の経歴を見たら元朝日新聞の記者。現在の肩書きは「ジャーナリスト」。

テレ朝の玉川徹は、公共の電波を使い「ウソ」を垂れ流し処分を受けた人物。現在は番組に復帰しているようで、大甘処分としか言いようがない。こんなヤツを柴山は擁護しつつ、変な結論を導き出す。

まず「電通関与発言」について、「いやしくもジャーナリズムの現場に身を置くベテランが全く根も葉もないことを口走るものだろうか」「まだ語っていないことがあるのではないか」だって。

柴山は「事実確認を怠ったのはプロとして弁解の余地はない」とも書くが、じゃあ玉川に取材もしないで「憶測」だけで「~ではないか」と書く自分はどうなんだ? 事実確認(裏取り)をしてないではないか! 玉川のところに行って取材してから書けと言いたい。

これが自称「ジャーナリスト」の言い分。朝日の体質そのままではないか? さすがOBだな。事実より自分の思想・言い分。「取材? 必要ないね!」といったところ。そう言えば、現役記者(編集委員)には「エビデンス? ねーよそんなもん」「レッテルを堂々と貼ろう」「自分の『なんか嫌だ』という感情を伝えたい」と嘯くヤツもいるからね。

そして柴山は「誤報」に関して「すぐに訂正、謝罪するのが鉄則」、玉川は「翌日には番組で訂正、謝罪したのだからOK」。それでも玉川バッシングが続いたのは「反玉川派の感情論」だとする。

なんとも都合の良い物の見方か。玉川は基本的に「批判のための批判論者」なのだ。とにかく批判ありき。当然、事実はおざなり。

確かに、玉川の過去の新型コロナに関する多くの発言の方が、電通発言より悪質だった。玉川のバカな発言を信じた人も多かったのではないか。実害もあったと推定される。玉川は「自分の意見」と判断されるようにデマを飛ばしていた。主に「煽り」「ミスリード」の類い。

しかし今回これほど大きくなったのは、明らかな「デマ・ウソ」を使ったからだ。「批判のための批判」をするために「デマ・ウソ」を公共の電波を使って垂れ流したからだ。

柴山の言うような「誤報」では決してない。「誤報」とは勘違いや間違いによる「過失」なのに対し、玉川の発言は「意図的に事実確認していない内容」(つまりはデマ・ウソ)を話したからだ。ここを混同してはいけない。だから柴山の言うように、「誤報」を謝罪したのにバッシングが続いたのは「反玉川派の感情論」と言う論調は明らかな間違いだ。

「ベテランのジャーナリスト(玉川のこと)が根も葉もないことを言うだろうか?」と取材もしないで憶測で書く自称・ジャーナリスト。「過失(誤報)」と「意図的(デマ・ウソ)」の区別もできない自称・ジャーナリスト。

こういうヤツが「ジャーナリスト」を名乗ってはいけないのは言うまでもない。