朝日新聞8月15日の社説「戦後77年と世界 平和の合意点を探る時だ」は、朝日史観(左翼史観と言っても良い)で書かれた上に、具体的な事実(歴史的事実)もないイメージ論ありきの駄文だ。

まあ、論説主幹の根本清樹あたりが書いたものだろう。根本に限らないが、朝日の論説委員連中は「印象操作」に長けているヤツが多い。「印象操作」記事が書けないヤツは論説委員にはなれないのが朝日だから。

社説内で「忘れてはならない歴史の事実がある」と書いた後に、「勢力圏の拡張を夢見て近隣国に攻め入り、孤立し、破局に至った日本」だそうだ。これが朝日の先の大戦での日本の評価だ。「歴史の事実」?

例えば、こんな「歴史の事実」もある。インドネシアの独立宣言書の日付は「17/8/05」である。最初の2つの数字「17/8」は8月17日を示す。では3つ目の「05」はというと、皇紀2605年の「05」だ。つまりは「1945年」(昭和20年)。初代インドネシア大統領・スカルノと副大統領・ハッタが署名している。

インドネシアで圧政(愚民化政策による搾取)を敷いていたオランダを追い出し、その後に官吏育成学校や師範学校などを設け、国づくりに必要な教育を行った日本。日本がオランダを追い出し、インドネシアのためになる統治を行ったことへの「感謝」と捉えることが普通ではないか?

日本の降伏後、再進出してきたオランダはスカルノを「日本の傀儡」「対日協力者」と位置づけた。これを以て、朝日は「傀儡だから皇紀を使った」と言うかもしれない。しかし、インドネシアはオランダと戦った。黙って再征服されるようなことはなかった。結果的にオランダを破り独立を勝ち取った。「日本の傀儡」が日本が去った後にオランダと戦うか?

つまりは歴史には表裏がある。◯か✕のような極端な捉え方は間違いだ。朝日のように自分らに都合の良い歴史のみを「事実」とし、不都合な面を見ない論考はメディアとしてやってはいけないことだ。

朝日は「勢力圏の拡張を夢見て近隣国に攻め入り、孤立し、破局に至った日本」の具体的事実を一切書いていない。朝日からすれば、既に具体的事実など周知だと考えているのかもしれないが。しかし「歴史の事実」のない朝日論法は「印象」論でしかない。そう「印象操作」。

もちろん、朝日の言う「歴史の事実」を100%否定するつもりはないが、これを前提に過去の日本を論じるのには無理がある。

朝日の好きな言葉に「複眼的」がある。社説でも多く使われている。朝日主観に合わないことを言う者に「複眼的にものを見よ」などと偉そうに使うことが多い。しかし朝日は決して物事を「複眼的」には見ない。自らの一方的なものの見方しかしない。

そんな朝日が決して触れない「歴史の事実」がある。昭和30年(1955年)にインドネシアで開催された「第1回アジア・アフリカ会議」で、日本代表団が大歓迎されたことだ。日本代表団の代表代理であった加瀬俊一は「日本が大きな犠牲を払ってアジア民族のために勇戦してくれたから、今日のアジアがある」と言われたことを語っている。

朝日の言う「近隣国に攻め入り、孤立し、破局に至った日本」という「歴史の事実」に、いかほどの説得力があるかは一目瞭然である。

戦後まもなく朝日はGHQに廃刊を脅され、その軍門に降った。さらに社内で共産主義革命が起こり、共産主義者の手中に落ちた。以後、ソ連・中国・北朝鮮のための紙面作りをしてきた。その中で培った「反日・侮日」精神は現在もその紙面を覆っている。

本田嘉郎が傷を付けたサンゴの写真に、降幡賢一がつけた文章がその代表だろう。「(日本人の)恥じない、精神の貧しさ、すさんだ心」。

主語を「朝日新聞の」とすれば、非常にスッキリする文章になる(苦笑)。こんな朝日が書く「日本論」に何の説得力もないことは明らかだろう。