岸田首相(政府)が安倍元首相の国葬を表明したことを受け、賛否両論が出ている。賛成の方が多いイメージだが、否定(反対)があっても構わない。それが朝日新聞のように「モリカケサクラがぁ~!」と「分断を煽るなぁ~!」と中身のない論調でもだ。日本は「言論の自由」がある民主主義国だから。
(「朝日新聞の安倍元首相国葬に関する中途半端な反対論」参照)

そんな中、ニューズウィーク日本版に「安倍元首相に国葬に反対する」との直球記事が載った。筆者は藤崎剛人。

論旨の多くの内容にはまったく賛同できないが、藤崎の意見なのでいいだろう。ただ「事績に基づけば国葬に値するかどうかは疑わしい人物を、選挙演説中に殺害されたインパクトをもって強引に国葬を執り行ってしまうのは危険であり、故人の神格化に繋がるだろう」は、何を言ってるんだでしかない。

安倍元首相の実績を全否定しているから「殺害されたインパクト」しか頭にないのだろうが、こういう物言いには呆れる。そして「神格化」されると言い出すのには「はあ?」でしかない。

どういう意味で「神格化」って使っているのだろう? 「絶対的存在と見なして崇めること」みたいな意味? それとも豊臣秀吉や徳川家康が死後自身を神格化(神号を得ることで)し、個人崇拝させることで政権を安泰化させようとしたことでも思い浮かべているのか?

まあ何にせよ、「神格化」などと言いだす輩の論調に説得力はない。国葬に反対する市民団体が「(国葬に対する)予算執行の差し止め訴訟」を起こす方針を表明したが、その中(会見)でやはり「神格化」という言葉を使っていた。既に街頭でも「神格化」という言葉を使ってデモをしている。

この団体って「あっ、いつものヤツじゃないか」なので、「神格化」ってその筋のお仲間達の間では「共通語」なのね。

藤崎(筆者)のツイッターをちょと見たら、「誰かが死んだときは批判を抑え哀悼の意を表するべきだという道徳を主張する人は、ビンラディンや麻原が死んだときもその原則を適用していたのかしら」とあり笑ってしまった。

左派系のよくある共通点として、比較対象でないもの(比較できないもの)を無理に比較し「(だから)日本が悪い」とこじつける手法を使う。元朝日(当時は現役)の鮫島浩に、その旨リプしたこともあるけど。

藤崎がどんな意見を持っていようが、安倍元首相の国葬に関して何を言おうが自由だ。ただ、その内容がコアなお仲間以外からは「えっ?」と思われていることも自覚した方がいいと思うぞ。