産経新聞に「一方的な安倍氏への恨み、『無敵の人』はなぜ生まれた」との記事が載った(7月13日)。署名は小川原咲。記事は安倍元首相を銃撃した山上徹也容疑者の「ゆがんだ意識」がなぜ生まれたのかを、精神科医の分析を基に構成している。

「復讐しても許されるという願望の正当化」「ねじ曲がった特権意識」「(宗教団体から安倍氏への)怒りの置き換え」など、精神科医の分析(意見)が並ぶ。まあ目新しい論調ではないが、精神科医の言葉だと何となく尤もらしく聞こえる。

ところが、同じように「逆恨み」から事件を起こしたとされる「京都アニメーション」への放火犯、「大阪北新地クリニック」への放火犯を持ち出し、山上容疑者も含め「犯罪の背景の一つに長引く日本経済の停滞がある」と言い出す。「ここ30年賃金が上がらず、経済的な不満を抱く人が増えている」だって。

経済的な不満? そんなのはいつの世にもある。好景気だったバブルの時代にも経済的不満を言う人はいっぱいいた。他の事件も含め、そんな単純なことではないだろう。特定個人の問題を広く一般化して、何を言うかというと「社会が悪い」。どこかの左巻き連中と同じことを言っている。

「正規と非正規社員の賃金格差是正や転職、復職支援の充実など、考えられる対策はある」などと言われると、何の分析記事だと思ってしまう。

バカらしい。山上容疑者個人の問題(身勝手な思考)を、社会一般論(世相)に広げて記事の結論とする浅はかさ。

この記事の問題点は、記者は事実関係などを書くだけで内容の本質である山上容疑者に対する論考はすべて精神科医個人の意見でしかないこと。そこを明確にしないで、山上容疑者の精神分析記事みたいに書いてはいけない。

だったら、この精神科医へのインタビュー記事とした方がすっきりする。というか、そうしなければいけない。

産経は「この精神科医の分析=産経の見解」と読者が理解するのを承知で書いているんだろうな? あとで「これは精神科医の分析を紹介しただけです」なんて、逃げ口上は言わないだろうな?

実はこういう手法は朝日の得意技だ。朝日記者は直接書かないで、御用学者などに反政府的な批判を言わせる。後になって内容が問題視されても「あれは学者さんの意見です」としれっと逃げる。その御用学者は切り捨てられるが(苦笑)。

そんな朝日の手法を産経が使ってどうすると言いたい。署名者の小川原は記者歴10年くらいの大阪社会部の記者らしいが、なんてバカな記事を書いてるんだ。