東京新聞の「防衛費倍増に必要な『5兆円』教育や医療に向ければ何ができる? 自民提言受け考えた」は、何とも幼稚な記事だ。本質の議論を避け、印象操作を目的とした惨めとも言えるものだ。
5兆円あれば「こんなことやあんなこと」ができると、図表まで載せている。「だから?」でしかない。本質は「なぜ必要なのか?」である。
「なぜ必要なのか?」はロシアのウクライナ侵攻を機に、日本の安全保障面を考えれば導き出される結果だ。周辺国のあからさま蛮行もある。近所で空き巣があれば、自分の家の防犯体制を考えるのは当然だ。防犯カメラを付けよう、カギを最新のものに変えようなどと考えれば、多少のコスト増も必要経費的な考えになる。
東京新聞は国際情勢も踏まえた上で、それでも防衛費の増額が不要と考えるのなら「こうだから必要ない」という記事を書かないといけない。それなのに本質の議論をせず(記事を書かず)、感情に訴え印象操作をするのは、特定の意図を持っているからに他ならない。
「安保法制」の審議時には、「集団的自衛権=戦争」「軍靴の音が近づいてくる」とか書いていた。まあ、東京新聞は活動家と見間違うような記者ばかりだが、それでも一応「新聞」を名乗っているのなら、印象操作ではなく「言論」で記事を書いたらどうだ。
東京新聞は6月2日の社説「泊原発差し止め 万が一に備えなくては」で、札幌地裁の判決を「万が一に備えた安全確保策の審査を迫る判決だ」と絶賛している。だったら「安全保障」においても「万が一に備えた安全確保策」が重要とは考えないのか? 安全確保のための費用(コスト)が必要なのではないか?
5月27日の社説「中国脅威論拡大 覇権主義的行動改めよ」では、「中国による南シナ海での覇権主義的な実効支配の拡大や、沖縄県・尖閣諸島周辺海域での挑発行為も目に余る」と書いている。その通りだ。このような中国の覇権行為や北朝鮮のミサイル発射も踏まえ、日本として安全保障上での「万が一に備える」必要はないのか?
幼稚な印象操作記事ではなく、なぜ防衛費の増額は不要なのか、つまりは安全保障においては「万が一に備える必要はない」と考えるのか。 理路整然とした記事で表明することを期待している。
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