毎日新聞の宮原健太という記者が「『#立憲民主党いらない』というハッシュタグをこれまで使ってきた人は翼賛体制を望んでいるのか。対峙する野党があるからこそ(中略)政策転換が可能になる」とツイート(6月7日)。

宮原の余りの「立憲民主党愛」が故か、日本語の理解すらできなくなっているようだ。プロフにわざわざ「東大卒」と書くくらいのナルシストのようだが。

「立憲民主党要らない=野党要らない」ではないのは明らか。宮原が立民が好きでも構わないが、代表する野党(野党第一党)が立民でなければいけない理由はまったくない。

「批判のための批判」「パフォーマンス第一」「目立ってなんぼ」で、「明確な国家観なし」「政策の素養なし」の立民が、国民から信を得ていないだけのことである。週刊誌記事のコピー片手に質問する某参議院議員の姿に、どれだけの国民が立民に期待感を抱いただろうか? その参議院議員は呆れたことに「週間◯◯はよく調べていまして」とか、恥ずかしげもなく発言していた。

政府・与党関係者の発言の揚げ足を取り、発言をねじ曲げて批判する。ところがそれが自分跳ね返ると、途端に無口になる分かりやすさ(苦笑)。滑稽と言っても良い。こんな政党ではなく、別の政党が野党の中心になって欲しいと思うのは至極当然のこと。

だから「立憲民主党要らない」なのだ。それを「翼賛体制を望んでいる」と持っていく方がどうかしている。

宮原はツイートの最後に「自分の考えに合わないからと相手を『いらない』と吐き捨てるのは知性なき愚かな考え方だ」と偉そうに書いている。では、毎日新聞やそのお仲間が「安倍政治を許さない」と、盛んに吹聴していたのはいいのか? 考えの違う相手を「許さない」と吐き捨てるのは「知性ある賢い考え」なのか?

宮原のツイート(と言うか考え)で問題なのは、新聞記者のとして在り方だ。一般論的な言い方を装いながら、実は特定の政党(立民)に肩入れしている。これは毎日新聞の「憲章」に適した言動なのか?

「真実敏速な報道と公正な世論の喚起を期する」と毎日の憲章にある。公正な世論を喚起するには、「事実」を報道しなくてはならないのは当然だ。自分の考えと違う人間を「知性なき愚か」などと言う記者が、果たしてどれくらい「事実」に基づいた「公正」な記事を書けるだろうか?

ツイッターのハッシュタグには「自民党いらない」「公明いらない」「維新いらない」「共産いらない」「国民民主いらない」「れいわいらない」「社民党いらない」と、立民以外の政党も勢揃いしている。もちろんツイート数の差はあれどだが。

宮原はこの中から「立憲民主党いらない」にのみ反応した。記者の立場を忘れ、肩入れ政党擁護に走ったわけだ。結局は、自らの「知性なき愚かな考え」を世間に知らしめただけのことである。