平成9年(1997年)に発生した「神戸連続児童殺傷事件」から25年が経過した。この事件は25年経っても様々な問題を現在に投げかけている。

加害男性(事件当時14歳)は社会復帰し現在39歳になっている。だが、事件と向き合い、真摯に反省しているかは疑問が残る。遺族の了解を得ないまま手記を発表したのは、その表れではないか。それを「自己救済」と言い募る姿に、どれだけの説得力があるのか。遺族が「(出版で)息子は2度された」と語ったのは、ある意味当然だろう。

これだけ社会に与えた影響も大きかった事件を、今後の少年法や更生プログラムの在り方について考える契機にするのは当然のとこと思う。

ところが朝日新聞は6月6日の社説で「社会に衝撃を与えた神戸連続児童殺傷事件から25年になる」としながら、事件や加害男性への言及を避け犯罪被害者への支援問題にすり替える社説を書いた(「犯罪被害支援 『あす』引き寄せるため」)。

朝日らしい本質からの逃げだ。現実逃避と言っても良い。もちろん犯罪被害者支援も重要なことだ。しかし、この25年を考えれば(振り返れば)、少年法や少年犯罪についての議論を避けるのはおかしい。

この事件をきっかけに、少年の刑事罰の対象を16歳以上から14歳以上へと引き下げる少年法改正が行われた。朝日は当時この改正に大反対した。

また、成人年齢の20歳から18歳への引き下げに伴う少年法の改正議論時も、朝日は少年法の年齢引き下げに大反対した。その結果、少年法の適用年齢は20歳が維持され、19・18歳は「特定少年」という訳の分からない位置づけとなった。

成人としての「権利」が与えられながら、当然果たさなければならない「責任」は免除されるという、なんとも甘やかしの法律になった。

朝日はお仲間(いわゆる人権派弁護士とい名の左翼活動家)と一緒になり、つまらない屁理屈を並べ立てた。そこで言っていたのが、少年法の趣旨は「更生なんだから」ということ。

「神戸連続児童殺傷事件」に触れると、どうしても加害男性の「更生」に目を向けねばならなくなる。そして、これは先にも書いたが十分な更生が果たされているとは言いがたい。つまりは、朝日らの主張の是非も問われることになる。

朝日は「少年法」「更生」と「加害男性の現実」から目を背けたのだ。言い変えれば逃げたということ。自ら言ってきた内容や行いについて、振り返り考えることもせずにだ。

朝日の現実逃避をして逃げる姿勢は、過去の「捏造」「悪質印象操作」などを真摯に反省せず、意図的に繰り返す体質となっている。さらには、自らの都合の悪いことには触れない体質は、そのまま「報道しない自由」の乱発に繋がっている。

こんな朝日がまともなメディアであるはずがない。