2019年の参議院選の際、安倍首相(当時)の選挙演説を妨害した2人をその場から排除した北海道警の警察官の行為は「表現の自由の侵害」として、札幌地裁は北海道に賠償を命じた。
朝日新聞は3月29日の社説「裁かれた道警 許されぬ憲法の軽視」で、この判決を嬉々として書いている。朝日は相当嬉しいようで、憲法まで持ち出し「表現の自由は民主主義を支える極めて重要な権利だ」と書く。
「表現の自由」を否定する気はまったくない。しかし、この判決はその場にいた大勢の聴衆の「演説を聞く権利」を無視している。他人の権利を侵害する「表現の自由」などないと思うが。
朝日は「為政者に対し、賛意だけでなく批判や異論が向けられるのは当然」と書く。もちろんその通りだ。しかし今回の場合は選挙演説だ。選挙演説はその性格上、往復の議論を前提としていない。政治家(政党)の政策を訴える場だ。
そこで他人の権利を侵害してまで自己主張することまでも「表現の自由」と言うのは行きすぎだと思う。「表現の自由」は無制限ではない。判決は2人の言論が「特定の民族への差別意識を誘発・助長したり犯罪を扇動したりするものではない」としている。つまりはヘイト的なものでなければ「表現の自由」だと言っている。
まさに昨今の朝日に代表される「権利がぁ~!」最優先の考えだ。権利と対になる義務や責任をまったく無視している。自分の権利(安倍批判)が最優先で、他人の権利(演説を静かに聞く権利)に考えが及ばない。及ばないどころか、考えすらしない。
確かに「選挙妨害」の判断は難しい。公選法にその規定がないため「マイクを奪うなどの物理的な行為」がないといけないとする考えから、今回のように「他の聴衆が演説を聴き取れなくする」ことでも選挙後妨害と言えるまで、様々な議論がある。ここは今後のためには明確にしておくべきだと考える。
ところで、朝日はこの判決を社説以外にも多くの記事を書いており、その喜びは相当なもののようだ。ある意味、裁判所が実質的な「選挙妨害」行為にお墨付きを与えたことになるからだ。対象が安倍首相(当時)の演説だから尚更だ。
しかし、実はこれが朝日の浅はかなところだ。じゃあ、枝野や志位の演説で同様のことが起こったら、朝日はどう考えるだろうか?
当然、受け入れなくてはならない。枝野や志位の演説に対し同様のことを行っても「表現の自由」だということ。朝日やお仲間のようなダブスタ連中は「選挙妨害だぁ~!」「民主主義が壊される~!」などと言いそうだが、もちろん言ってはいけない。
でも朝日は言うと思うぞ。だって、それが朝日だから。
*本判決は地裁レベルの判断で確定したわけではない。北海道警は控訴しており上位審の結果により変更されることもある。
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