北京冬季五輪のフィギュアスケート女子シングルの騒動を見るにつけ、いろいろ昔(と言うほどでもないが)のことを思い出してしまった。競技なのでどうしても順位はついてしまうが、必ずしもその順位だけでは計れないものがあると言うこと。

メダルを獲った選手はもちろん素晴らしいが、獲れなかった選手にも同じように心に残るものがあった。

まず思い出したのが、ソチ五輪(2014年)の浅田真央のフリー。SPで失敗してしまったためメダルには届かなかったが(6位)、フリーの演技は世界を魅了した。

それまで、なぜか採点で悩まされ続け(素晴らしい演技をしても得点が伸びない)、完璧な演技を求められた結果がプレッシャーになったのかもしれない。



世界中が称賛した浅田真央のフリー演技。何回観ても涙が出てくる。「これぞ世界一!」。

ただ、この演技の得点は142.71。その後に上位2名がこの得点を上回ったのだ。呆れるしかない採点。浅田は演技順が早かったから得点が抑えられたと言われたが・・・。


もうひとつ思い出したのが、カルガリー五輪(1988年)の伊藤みどり。まだフィギュアスケートにコンパルソリー(規定)が行われていた時代。伊藤みどりは規定が苦手で、SPとフリーで巻き返すという流れ。採点も「技術点」と「芸術点」とで採点されていた。



伊藤みどりのフリー演技。完璧な演技で、観客は演技終了前からスタンディングオベーションで伊藤を迎えた。これを観て思ったのが「伊藤みどりが世界一!」。

技術点は出場選手中最高点! しかし芸術点が伸びず(微妙)、フリーの得点は3位。この演技でも3位。最終順位は5位入賞(規定10位、SP4位、フリー3位、総合5位)。

この五輪で優勝したカタリナ・ヴィット(東ドイツ)の「フィギュアスケートはスポーツであると同時に氷上の芸術です。観衆がただジャンプを観るだけでなく、スケートの美に感動して欲しいのです」との言葉が、当時のフィギュアスケートをよく表わしている。

フィギュアスケートでの芸術性を否定するわけではないが、こういう主観による採点方式って、だいたい揉めることになる。他の競技でも同様だ。


どちらの演技も、観た瞬間に「世界一だ」とオレは確信した。そして、その五輪におけるメダルの有無など何の関係もないと思った。

もちろん身びいきもあるだろう。しかし2人の演技が聴衆だけでなく、世界中の多くの人々を魅了したことも事実である。伊藤みどりと浅田真央では、その時の状況に違いはあるが。

伊藤みどりはアルベールビル五輪(1992年)で銀メダル、世界選手権でも優勝している(1989年)。浅田真央もバンクーバーン五輪(2010年)で銀メダル、世界選手権では3度優勝している(2008、2010、2014年)。

しかし2人の中での最高に印象に残る演技は、この2大会のフリーだとオレは思う。