昭和62年(1987年)5月3日に発生した朝日新聞阪神支局襲撃事件は、暴力で言論を封殺しようとする行為であり、容認することはまったく出来ない。亡くなられた記者の方には、改めてお悔やみを申し上げる。
朝日は毎年この事件を社説に書いているが、毎年違和感を感じている。卑劣な事件ではあるが、朝日はことさら自らを「被害者」として描くことだ。5月2日の社説「支局襲撃34年 SNSを凶器にしない」もそうだ。
襲撃犯(赤報隊を名乗る)が朝日を「反日」と批判したと書き、現在もネット上(SNS)では同様に「反日サヨク」などの言葉があふれ、その「被害者」は広く社会・労働運動に取り組んだり、政権に批判的な発言ををしたりする人たちだとする。
つまりは朝日の「お仲間」連中が被害者だと言っている。
そうだろうか? 確かに朝日の言うことを全否定するものではない。しかし逆に「ネトウヨ」などと揶揄され、そういう人たちが被害者のケースも非常に多い。「これは悪質だ」と感じるケースもある。ネットを見る限りでは、朝日が言うのはほんの一面でしかないと感じる。
朝日の言う「SNSを凶器にしない」という大枠は同意するが、社説に書かれるような一方的な善悪に関しては、まったく同意することはできない。だいたい、朝日が自らを「被害者」ポジションに置いていることが、おかしなことである。朝日は報道に関して言えば、明らかに「加害者」だ。
阪神支局襲撃事件の2年後(平成元年/1989年)には、あの「サンゴKY」捏造記事が載った。平成26年(2014年)には、永年捏造を続けてきた慰安婦報道に関し「誤報」と言う形ではあるがやっと認めた。
福島第一原発事故報道にも、多くの捏造・ウソ記事が載った。悪質印象操作記事は、今も当たり前に紙面を飾っている。それによる福島への風評被害も後を絶たない。
朝日は社説中で「卑劣な行為にひるむことなく、報道の使命を果たしていくことを改めて誓う」と書く。暴力に怯む必要はまったくない。しかし、捏造・ウソ・悪質印象操作記事を書くことが「報道の使命」ではないことは明らかだ。
自らと、そのお仲間こそが「被害者」だと考えている内は、朝日が「報道の使命」を果たすことは永遠にできない。
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