前回の「朝日新聞がここまで韓国をつけ上がらせた」の中で、「朝日の記者連中は、2014年の『誤報』をどう捉えているのだろうか?」と書いたが、どうやらその答え(の一部)を見つけた。編集委員・北野隆一著「朝日新聞の慰安婦報道と裁判」(2020年)だ。

その中で書かれている「吉田(清治)証言が否定されても、慰安婦問題全体が『うそ』や『捏造』だったとは言えないということだ」。これに尽きるようだ。そして、その補強として「軍令などによる強制連行の有無は関係なく、本人の意思に反して就業した人間がいるのだから強制だ」と言うことらしい。

未だに何を言っているのか、いやはや・・・。

だから朝日は吉田清治からみの記事を「誤報」として取り消した後も、恥ずかしいまでの厚顔記事を書けるようだ。しかし、まやかし・開き直りもいいところだ。

慰安婦問題の本質は旧日本軍(関係者)による「強制連行」だ。これが否定された段階で、慰安婦問題は「戦時売春」の問題に変わっているのだ。その中で、そういう方々の中に「本人の意思に沿わない」人がいたことも否定するものではない。ただし、その意思に沿わない場合の主体は誰なのか? だ。例えば植村隆の記事に出てくる金学順の場合は母親や養父になる。決して旧日本軍や軍関係者ではない(スマラン事件の1件以外はない)。

だから金学順が日本政府を訴えたの裁判は、軍票を金銭に換えることを求めていた。その中に「強制連行」を突っ込んだのは福島瑞穂だけど(だから福島は慰安婦捏造のひとりとして今も批判されている)。

しかし北野は植村の記事を「女子挺身隊と慰安婦は、当時は両者の違いが明確でなく、本来は慰安婦と書くべきところを女子挺身隊と紹介してしまった。従って、植村氏は語句を間違えただけなのです」と、植村擁護をしている。こんな認識を本に書く恥ずかしさ。

金学順の「母親にキーセンに売られた」「養父に連れて行かれた」との話を無視し、主語を曖昧にした上で「挺身隊として戦場に連行された」と書いたことへの説明には、まったくなっていない。

植村本人は「連れて行かれた」と言う意味で「連行された」と書いたと言い訳しているが、だったら「連れて行かれた」となぜ書かない? 「連行された」と書くことで、誰がどう見ても「日本軍による強制連行」と思わせる表現になっている。だから「捏造」と批判されているのだ。

また北野は、慰安婦問題「誤報」に関連し、朝日新聞が保守系団体から訴えられていた裁判(3件)で、すべて朝日側が勝訴したことを以て免罪符を得たかのように書いている。朝日が勝訴した理由は簡単で、原告(保守派)が被害を受けていないと裁判所が判断したから。実際は日本(人)全体が大きな被害を受けているのだが、それを民事訴訟で問うのは難しいということ。決して裁判所が朝日の慰安婦関連記事の信憑性を認めた訳でも何でもない。

それに、そう言うなら植村は自身の起こした名誉毀損裁判で連敗しているぞ。朝日勝訴は正当な判決で、植村敗訴は「不当判決」とでも言うのか。

北野が朝日(や植村)に都合よく本を書き、それが朝日記者の共通認識となっているのであれば、朝日の「慰安婦問題」からみの記事に反省の欠片もないのも頷けるというものだ。

朝日の慰安婦報道は日本(人)を傷つけたと同時に、韓国(人)までも大きく傷つけたということを、北野や朝日記者(箱田哲也や中野晃など)はよく考えた方がいいだろう。そこに思い至らず、未だに反省もせず自己弁護に終始する姿は滑稽すぎる。