9月16日に発足した菅新内閣の女性閣僚が、安倍内閣の3人から2人に減ったことに朝日新聞が噛みついている。「女性閣僚1人減って2人 菅首相、女性活躍の本気度は」との見出しで、どこの国は何%だとか国別順位で190国中167位だとか書いている。

女性がその能力に対し正当に評価されるのは当然だ。「女性だから」などという考えがあってはならない。そういう面で、日本が遅れていることは認めるところでもある。

しかし、見出しには大いに疑問を感じる。女性活躍って人数で決まるのか?

そんな中、朝日のサンフランシスコ支局長だという尾形聡彦が次のツイートをした。「女性活躍を7年掲げながら真剣に取り組まなかった(安倍政権の)結果です」。

さらに尾形は自民党4役が全員男性だったことにも、「女性も若手もいないのが象徴的です。お膝元の自民党内ですら努力してこなかった。やる気もないのに看板(女性活躍)だけを掲げた責任は重いと思います」。

そうだろうか? 「女性だから」はダメだが、じゃあ女性なら誰でもいいのか? 「女性活躍」をその人数でのみで判断するのは思慮不足ではないのか。

もし、稲田朋美、小渕優子、松島みどり、片山さつきを再任用したら、朝日は何と書いただろうか? いずれも前任時、一悶着起こしたメンバーだ。その能力とは別の面で朝日は大批判しただろう。

結局は、その「能力・資質・経験」などに裏打ちされた「実力」が重要なのであって、そこに男性・女性、若手・老齢は二の次だと思う。意図的に実力不足の女性(男性であっても)を登用することは、その組織においてデメリットしかない。ましてや閣僚の話だ。

閣僚として日本の未来を担う女性国会議員が、8年で大勢輩出できたらそんなに良いことはない。しかし現実はそう甘くはない。まだ過渡期だと思う。

じゃあ、尾形の朝日新聞はどうなのか? どれほど多くの女性が活躍しているのか?

すると、会社の舵取りを担う取締役(7人)に女性はゼロ。業務執行に責任を持つ執行役員は18人中3人。他に監査役に2人。取締役・業務執行役員(待遇含む)・監査役の計31人中5人の16.1%。

これは安倍内閣の最後が15.8%(19人中3人)と同程度。。菅内閣は10%(20人中2人)だから、それよりは高いが大差ないレベル。朝日だって決して多いとは言えない。

朝日の「女性活躍」もたいしたことないなあと批判するのは簡単だ。しかし朝日だって「能力・資質・経験」などから人選しているはずだ。また女性登用についても各種施策を行っているのだろう。単に人数を以て「朝日の女性活躍」は低い! との批判があれば、尾形も人数だけで判断するなと反論するのではないか?

「女性を増やせ!」と言うのは簡単だ。確かに分かりやすいのは人数だろう。しかし現実は言うほど簡単ではないのは、朝日の人事でも明らかなこと。見かけ(人数)で判断する浅はかなことはやめた方がいい。

尾形や朝日は批判するならば、女性活躍のため政策・施策のこういうところがダメだと言わなければならない。相変わら見かけだけで批判する。だから「批判のための批判」と言われるうえに、自分にブーメランとして跳ね返る。

まあ、朝日はそういう記事(表面ズラの批判)しか書けないからしょうがないけど。