朝日新聞5月24日のコラム「日曜に想う」は、編集委員・福島申二の「『言葉』に逆襲される首相」(紙面では「言葉を『虐待』してきた安倍首相 連発しても重みなし」と、より刺激的なタイトルになっているようだ)。内容は、とにかく安倍首相を批判するというだけのもの。
「安倍首相は様々に語りかける。しかし言葉が心に響いたという話はあまり聞かない」「リーダーを任ずる者なら、自分の言葉を磨き上げる意欲を持ってしかるべきだろう」などと、知った風なことを宣う。そして「新しいリーダーを早く選び出すかどうかの選択から始まろう。すべては民意にゆだねられる」と、国民を舐めたような言い分で結ぶ。
福島はコラム中で「言霊」について触れているが、どうやら「言霊」の本質を理解していないと思われる節がある。でも、まあいいだろう。こういうのが朝日だから。知ったかぶりで思い上がりの文章が書けないと、朝日では偉くなれない。
ここで言いたいのは「言霊」の本質ではなく、朝日の「言葉」(つまりは記事)に関して。首相の「言葉」を批判する福島だが、自身(朝日)の「言葉」は事実に基づいているのか?
事実を意図的に曲解するだけでなく、捏造までした虚構に関して発する「言葉」に、何か意味があると考えているのか?
朝日は慰安婦問題で、詐話師・吉田清治の直接的な「言葉」は取り消したが、その虚構を元にした与太記事(言葉)は一切取り消していない。同じように捏造がバレても取り消していない記事も多い。古い話では北陸電力の「記者思想調査捏造」や広島の「100円ラーメン捏造」。
また、自分で北朝鮮を地上の楽園と煽っておきながら、「『地上の楽園』と宣伝されていた祖国はひどく貧しく、自由にものが言えない恐怖政治の国だった」と平気で書く(2018年9月)。
「表現の自由」に関しては「(表現の自由は)どんな場合でも無制限というわけではない。無分別な表現は、個人や集団、民族などの名誉や尊厳を傷つける『暴力』にもなりえる」(2015年1月)と書きながら、あいちトリエンナーレ問題では、「表現の自由が大きく傷つけられた」と書く始末。
さらには、自社の不祥事は記事(言葉)にすらしない。2018年5月に浜松支局長が「建造物侵入罪」で罰金10万円の判決を受けた際は、記事にすらしていない。今回の賭け麻雀社員も実名報道しない(噂は流れているが)。まあ、産経もしてないけど。
これ以外にも、いっぱいありすぎて書き切れない。
そんな朝日が「安倍首相の言葉はダメだし、首相を変えよう」とほざく。福島は自分の「言葉」をきちんと省みてから記事(コラム)を書くことをお薦めする。それにしても、相変わらず「恥」という「言葉」を知らない連中だなぁ~。
関連
「朝日新聞がとぼけたウソ記事」
「朝日新聞は『北朝鮮への帰還事業』の加害者だぞ!」
「朝日新聞の『表現の自由』に関する安定のダブスタ」
「朝日新聞は自社支局長の犯罪を報道しろ!」
など多数。
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