朝日新聞の「論座」に「コロナ報道におけるテレビ朝日・玉川徹コメンテーターへの疑問」という論考が載っていたので読んでみた。筆者は朝日社会部記者の川本祐司。

「(玉川は)論理の一貫性の欠如を露呈させていた。発言の信頼性に関わるような変わり身だった」「新型コロナに関する知見を持たないコメンテーターが、自信をもって発言するのはそもそも無理がある」「視聴者が求めているのは、テレビの作法や芸を身につけた反射神経のコメントではなく、知識に基づいた確かな助言」などと、玉川のその場その場での批判や薄っぺらいコメント内容を批判する。

おや? 朝日から見ればお仲間のはず玉川を批判的に書いている。

もちろん「野党精神はすばらしい」「思ったことを率直に語る歯切れの良さは群を抜いている」と、持ち上げるのも忘れてないけど。

現実的には「思ったことを率直に語る歯切れの良さ」が実はくせ者で、そこに取材や科学的・医学的裏付けがあればいいのだが、それなく思い込みでコメントするから批判されている。しかも時と場合で言うことが違う。これが問題なのだ。

川本が朝日記者には珍しい「普通の感覚」を持った記者なのかは分からないが、玉川の発言に疑問を持つのはある意味当然のことと思う。

ところが、この川本の論考は論座読者(当然、朝日の読者でもある)からすこぶる評判が悪い。批判のコメントであふれている。まあ、これもこれである意味当然のこと。

もし川本が「普通の感覚」を持っているなら、自社の記者や記事をどう思っているのだろう? 新型コロナの安倍首相会見で、「検事長の定年延長がぁ~!」とか質問しているヤツや、同じく「森友問題を聞きたかった」などとツイートするヤツ。

さらには悪質印象操作(対象者が違う見解や論文を引用)をしてまで、布マスク批判をするヤツ。その他、「批判のための批判」記事のオンパレード。

玉川の薄っぺらいコメントの批判よりも、自社の記者に言うことはないのか。自社の記事に思うことはないのか、と感じてしまう。玉川のコメントに疑問を持つなら、朝日の記事に疑問を持たなければ絶対におかしい。

川本の経歴を見るとベテランの部類に入る経験を積んでいるみたいだが、批判するにしても矛先が違うのではないか? 確かにTVの影響力は大きいし、「モーニングショー」の視聴率もいいらしい。しかし玉川以上に酷い朝日の記事(記者)に対し、自分で反骨記事を書ける立場ではないのか。それとも窓際から外を見ているだけの記者なのか。玉川批判で良い子ぶっただけか?

「多くの人々の生命に関わる感染症について専門外のコメンテーターが論じること自体の限界があぶり出されたのだと思い至った」と書く川本に、朝日が感染症の専門家でも何でもない連中の政府施策批判コメントを大量に載せている現実を、どう理解しているのか聞きたい。