朝日新聞4月16日の社説「芸術祭の中止 うやむやは許されない」は、朝日のバカさ加減をよく示すレベルの低いものだ。
広島県尾道市などで行われる予定だった「ひろしまトリエンナーレ2020」が中止になったことを批判してる。「うやむやな対応は将来に禍根を残す」そうだ。
広島県が展示内容を事前に確認する方針を打ち出したことにも、美術関係者からは「公然たる検閲」といった批判や懸念の声が上がっていたとも書く。美術関係者? 左翼関係者だろうが。
朝日は公金が投入されることの意味を、左翼関係者への公共からの「お墨付き」と考えているのだろう。公的な芸術祭でその反日・侮日作品が認められれば、朝日にとってこんなうれしいことはない。
昨年の「あいちトリエンナーレ」企画展の騒動でも分かったように、朝日は反日・侮日のためなら「表現の自由は無制限」の論調をとった。自由の後ろにある義務や責任など関係ないという記事を連発した。それは自社のスタンスと展示(内容)が見事に合致していたからだろう。
では、朝日は「朝日の捏造展」と題し、過去の朝日の悪行の限りをこれでもか! って展示する催しに、公金が投入されたらどう考えるか? 当然「表現の自由」と考えるんだろうな? 例えば、朝日の特定記者(元含む)の写真を焼いて足で踏みつける映像も、公金を支出するに値する芸術作品と判断するのだろうな?
まあ疑わしいけど。
公金が投入される催しに「ある程度の中立性」が求められるのは当然だ。自分らの思想丸出し(右でも左でも)のことをやりたかったら、私事としてやれということ。当然、公金で運営されている施設も使わずに。
表現の自由を過度に制限するつもりはないが、公金つまり税金の使い道が「公共の福祉」に寄与するものに適用されるのは当然だ。また、人を傷つけて良い「表現の自由」などないのだ。公金を使って「人を傷つける」ことなど許されるわけがない。
だから公金が投入される催しが精査されるのは当然だ。ただ難しいのは、この「人を傷つける」の程度問題の判断だろう。ここは大いに議論されるべきだと思う。そのために事前に作品(と称するもの)を確認するのは「検閲」とは違うと思うけどね。
朝日のように自社思想に合致していれば「表現の自由がぁ~!」で、合致してなければ「差別だぁ~!」「 検閲だぁ~!」「名誉毀損だぁ~!」なんて通用するわけがない。そういうタブスタが朝日の専売特許だと言われればその通りなんだけどね。
でも、こういうタブスタはいい加減にしろ! ということ。
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