朝日新聞3月29日のコラム「日曜に想う」。3月末で朝日を退社した編集委員の大野博人が書いていた。タイトルは「グローバル時代、世界の忘れ物」
いつものことではあるが「よく言うわ」。
米国と中国の「中国ウイルスだ」「米軍が持ち込んだ」という言い合いを批判するが、同等に扱うことの方がおかしい。これを曖昧にするから中国は何度も同じとを繰り返す。SARS、MERSから何も学ばない中国。中国という国家の責任だと難詰するわけではないが、野生動物を食する「文化」を持つ民族が持つリスクをどう管理するかは国家の責任だ。
確かに今は言い合っているときではないが、終息が見えてきた時には徹底しなければならない大問題だ。過去、中国はそれを怠ってきた。だから繰り返す。大野のように中国に思い入れのある人間はそこを見ようとしない。だから「中国ウイルス」と呼ぶトランプを批判する。中国が「米軍が持ち込んだ」などとつまらないことを言わなければ、大野は思う存分トランプ批判を書いただろう。
また、大野は「グローバル時代になって、こうした発言に出合うことが増えた。国境などおかまいなしに広がるグローバルな問題に、国単位のナショナルな対策しか発想できない非力を覆い隠す政治的レトリック」と書くが、これこそが「朝日的レトリック」でしかない。
グローバル化を歓迎し、そして都合良く使ってきたのは朝日自身だ。何かと言うと「グローバルスタンダードだ」と、日本の様々なことを批判した。しかも、その世界とは朝日思想にあったっもののみを指す。難民・移民問題など、その典型だろう。
「非日常的な日々が、グローバル化で忘れてしまったことを思い出せと迫る」と書く大野と朝日が、「グローバル化」を都合良く使ってきた過去を消すことは出来ない。
最後まで「朝日的レトリック」を駆使した文章だな(苦笑)。
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