朝日新聞3月23日の社説「福島の事故から9年 原発と決別し、新たな道を」は、朝日の社論である「原発ゼロ」「再生可能エネルギーで代替え」を言っている。まあ朝日の言い分なので、好きに書けばいいけど。ただ、中身がなく実現性の欠片もない「お花畑論」でしかないのは相変わらずだ(苦笑)。

朝日は東電が表立って反論できないことをいいことに、「原発は危険だ」との世論形成のために東電を「安全認識が甘い」と批判した。

東電を過度に擁護する気はないが、朝日のデマを含めた印象操作の結果、福島への風評被害を煽ったことは決して忘れてはならない。特に、竹内敬二(退職、当時編集委員)がウソ八百を書いていたことは批難に値する。

現在も村山知博(論説委員)が科学技術社説担当のくせに、科学的・技術的な論考抜きの感情論記事を連発。他の記者連中もひどいものだ。

こんな朝日に原発やエネルギー政策を語る資格はないのだが・・・。

話を社説に戻すと「原発も火力発電もだめだ」「これからは再エネだ!」の単純な流れ。でも、朝日は安定した電力供給や再エネ拡大に伴う自然破壊については絶対に触れない。触れられないからだろう。

現状、原発1基分を再エネ(太陽光)で賄おうとしたら、どれくらいの面積に太陽光パネルを敷き詰めないといけないか?

100万kWの原発1基分を太陽光で賄うためには、山手線内すべてにパネルを敷き詰めないといけなくなる。前提条件は太陽光発電能力0.2kW/平方m、実質的な発電効率(夜間などを除く発電時間的なもの)12%。

3・11前の原発の総発電量は約2800億kW。いったい日本の国土のどれくらいにパネルを敷かないといけないのか?

単純に当時の原発総発電量を太陽光で置き換えようとすれば、関東甲信越全域がパネルで埋まることになる。

朝日の社説にはこういう視点がない。多分、知っていて書かない。

「原発嫌だ」「火力もダメ」「再エネだ」と無責任に書くのはいいけど、関東甲信越をパネルで埋めてもいいとは思うまい。理想論だけでは世の中生きていけないという、当たり前にして当然のこと。

この先技術革新が進んだとしても、パネルの発電効率が飛躍的に上がるとは思えないし、日本の日照時間が大幅に増えるわけでもない。太陽光のみならず風力や地熱なども同様だ。

「今日は雨(曇り)なので電気を供給できません」「夜は電気を供給できません」「今日は無風なので電力を供給できません」とはいかない。しかも万が一の発電量低下に際し、島国の日本はヨーロッパのように他国から購入(輸入)することもできない。安定供給と適価は避けられない課題だ。

どう考えても再エネはサポート電源として活用するしかなく、絶対にメイン電源にはなり得ない。じゃあ、その際のメイン電源をどうするか? 電力ミックスはどうする?

メディアはこういう視点で電力問題を書かないといけないのではないか?

朝日のように「再エネだ」でもいいけど、じゃあ総発電量の何%位を想定しているのか? 残りはどうするのか? 「原発に決別し、新たな道を」なんてタイトルをつけるなら、これくらいのことは書かないといけない。

だから「無責任に煽るな!」と言われるんだ。