国民民主党・原口一博の11月4日のツイート。「『何でも反対の野党』これも『呪いの言葉』です。政権と厳しく対峙して倒そうとしない野党など要りません」

ある意味その通りなんだけど、原口は大事なことを忘れている。倒した後、どういう国家観・歴史感で国政を運営し、何を成すのかと言うことを。

自分らが大きく関わった消費税の増税に反対する。その理由に経済が下振れしていると言うなら、アベノミクスの代わる経済政策を示せばいい。しかし「アベノミクスは失敗だ」と言うだけで対案は出てこない。

野党共闘と称して共産党までも手を組む。そこには政策的な一致など何もない。もしその選挙で勝ったとしたら、どういう政権を興すのかすら何も言わない(言えない)。

与党議員の「疑惑」を追求するのは良いとして、そのほとんどでが自らにブーメランとして突き刺さる。その途端に無口になる。

国民意識は大きく変わっている。「何でも反対の野党」の存在など要らないと考えている。往時は200人もの衆議院議員を擁していた旧社会党(現社民党)の末路を見れば良く分かる。国民は「何を成すのか」を求めている。それを示さないで政権と対峙しても、多くの国民は支持しない。現在の野党各党の支持率がそれを見事に示している。

旧民主党が大勝した際、マニフェストと称し政策を語っていた。確かに多くの国民が自民党(+公明党)の政権に飽きていたが、それ以上に旧民主党が政策を語っていたから政権を託した。

結果的にマニフェストは絵空事でしかなく、何も出来なかったことは大いに反省すべきだ。下野後、政策的な実力をつけることに力を注ぐべきだった。それなのに何をしていたかと言うと「あいつは嫌いだ」ばかりの内ゲバと、「どこに行った方が選挙に有利だ」しかない離合集散と野合。

一部アホなヤツはパフォーマンス磨きに精を出し、カメラ目線でプラカードを掲げる。また、売れない芸人の怒り芸ばりにTVカメラ前で怒ってみせる。国民からは、そんな見え見えのパフォーマンスは見抜かれているのに。

誰がこんな連中を支持するのか。国民を舐めるなと言いたい。

政権に協力して物わかりの良い野党になれと言う意味で、「何でも反対の野党」と揶揄されているわけではない。反対のその先を示せと言っているのだ。

原口は「何でも反対の野党」と、なぜ思われているのかを良く考えないといけない。旧民主党下野後の各種行動が、こう思われているということを自覚しなければいけない。