朝日新聞編集委員・駒野剛の10月30日のコラム(多事奏論)「権力監視 幕末・・・記者を志した若者、その後」を読んで、朝日は誰が社説や記事・コラムを書いても「相変わらずだなぁ」との印象。

コラムは幕末に新聞記者を志した若者が明治維新後に記者になり、その成功と挫折みたいな感じのことを書いている。別にこの内容について言うことはない。

しかし、コラムの最後の最後で「新聞記者はニュースを報道するのが仕事である。ニュースは政治家や官僚や企業トップといった権力者がネタ元になることが少なくない。権力は腐敗や独裁という『毒』と無縁でない。記者は毒を見抜き批判する監視者でなければ読者の信頼を得られない」だってさ。

すべてを否定する気はないが、朝日記者の思い上がりも垣間見ることが出来る内容だ。

まず、「新聞記者はニュースを報道するのが仕事である」ならば、なぜ事実をそのまま伝えない? なぜストレートニュースにまで「角度」を付けて、印象操作をしようとする? そう言えば、自社の印象操作記事に引っかかって、間抜けなツイートをしていた編集委員もいたな(爆笑)。

なぜ事実に基づいて論評しない? 「~であるならば」とか「~だとすれば」などと、自分の勝手な仮定を入れ(しかも自分の思想に基づく)批評する?

それに駒野が書く「権力者」に抜けている職種がある。それは「新聞記者」だ。自称・ジャーナリストと言ってもいい。事実に基づかない内容(簡単に言えば捏造)を垂れ流し、それを元に散々批判することで、大きな被害を被った人は大勢いる。朝日に限って言えば、慰安婦捏造により日本人全体を貶めた。福島第一原発の事故では、吉田調書の意図的曲解、科学的見地を無視した記事の数々で風評被害を拡大させてきた。

こんなことは一般人にはできない。新聞だからできたことだ。駒野は「新聞記者が権力監視者でなければならない」言うなら、自分らも監視される対象だと認識しないといけない。しかし身内の不祥事は決して記事にしない。逮捕者を出しても書かない。

それに、朝日に数いる捏造記者の中で、クビにならずにノウノウと余生を過ごした(ている)ヤツが何人いる? 身内に甘い権力者が、他の権力者を監視するだと? 自惚れるのにもほどがある。傲慢と言ってもいい。

自分の捏造に自分で始末をつけず(つけられず)、お仲間を集めた「自称・第三者」に大甘提言を出させるようなヤツらが、他人について何を監視するのか? まずは身内の不祥事でもしっかり監視してからものを言えと言いたい。

駒野よ、「事実を事実として報道する」のが記者の最低限の仕事だ。これすらできていないのに、偉そうなことを抜かすな。