あいちトリエンナーレの企画展「表現の不自由展・その後」が中止されて以来、「表現の自由がぁ~!」と騒がしい。先日、文化庁が補助金の支給をしない決定をしたことで、また一部が元気になってきた(苦笑)。

代表が朝日新聞だ。9月27日も社説で「あいち芸術祭 萎縮を招く異様な圧力」と題し、本質論から外れた批判をしている。

「表現行為や芸術活動への理解を欠く誤った決定である。社会全体に萎縮効果を及ぼし、国際的にも日本の文化行政に対する不信と軽蔑を招きかねない。ただちに撤回すべきだ」と鼻息が荒い。

また朝日は愛知県が設けた検証委員会の中間報告(「展示が政治的色彩を帯びていても、公金の使用は認められる」など)をとうとうと書くが、こういう検証委などを絶対するおかしさ。

確かに朝日は、自社の不祥事(捏造など)のたびに「第三者委員会」と称する身内を集めて、自社に都合のよい提言を出させるのが得意だ。しかし、他人の検証では「第三者ではない!」などといちゃもんをつける。結局は、自社の都合で「良い第三者委」と「悪い第三者委」を選別しているだけのこと。こういうことを恥ずかしいとも思わないところが、「普通の国民」から相手にされない理由だ。

ちょっと話が逸れてしまったが、「表現の自由」は決して無制限ではない。朝日もかつては「ある人々による風刺表現が、別の人々に侮辱と受けとめられる」「(表現の自由は)どんな場合でも無制限というわけではない。無分別な表現は、個人や集団、民族などの名誉や尊厳を傷つける『暴力』にもなりえる」「自分にとっては当たり前に思える常識や正義が、他者にとっては必ずしもそうではないという想像力。それがあっての表現の自由である」と書いた。(「朝日新聞の「表現の自由」に関する安定のダブスタ」参照)

ところが朝日にとって最優先されるのは、決して正論ではなく自社の思想。つまり反日・侮日なら途端に無制限になる。だから補助金を出せと騒ぐ。「補助金が出ない=不適切な展示」との認識が広まるのだけは避けたいのだろう。

朝日は「表現の不自由展・その後」の展示物である昭和天皇のご真影を焼き、その灰を踏みつける映像や、特攻隊員の寄せ書(日の丸)を貼り付けた「間抜けな日本人の墓」などを「表現の自由」と本気で考えているのか?

どう見ても「表現の自由」を逸脱していると判断されるし、しかも昭和天皇や特攻隊員らへの「人権侵害」も甚だしいではないか。本来なら「人権屋」とも揶揄される朝日こそが、これらの展示に反対しなくては、今までの言説とまったく整合しない。過度なまでに人権を振りかざす朝日が、こういう人権侵害・名誉毀損に対しは無視を決め込む。

すべては自社の思想が判断基準だからだ。自社が「弱者」認定したものに対しては過度なまでに擁護するが、その反対ならこの有様だ。

こういうことを恥じないのが朝日新聞が朝日新聞たる所以だ。朝日は2度と「表現の自由がぁ!」「人権がぁ!」とか言ってはいけない。

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