朝日新聞・高橋純子のコラムを久しぶりに読んだ。8月21日の「表現の自由 『権力なんかないよ(笑)』に震える」(多事奏論)。相変わらずの駄文なのだが、朝日新聞のダブスタをよく表わしている。また、朝日得意の「いつの間にか被害者」になり切っていることには笑うしかない。

あいちトリエンナーレの件に関しては、河村・名古屋市長の「日本人の心を踏みにじる」「表現の自由は相手を傷つけないことが絶対(条件)」などの言説を「浅はかな認識」と批判する。どうやら高橋は、日本を侮辱することなら「表現の自由は無制限」であると考えているようだ。

「ある人々による風刺表現が、別の人々に侮辱と受けとめられる」「(表現の自由は)どんな場合でも無制限というわけではない。無分別な表現は、個人や集団、民族などの名誉や尊厳を傷つける『暴力』にもなりえる」「自分にとっては当たり前に思える常識や正義が、他者にとっては必ずしもそうではないという想像力。それがあっての表現の自由である」

これは2015年1月の朝日新聞の見解である(「朝日新聞の『表現の自由』に関する安定のダブスタ」参照)。当然、朝日自身も見苦しいダブスタを紙面で展開しているだが、高橋もまた同様だ。

高橋は「踏みにじった側がのびのびと、ちゅうちょなく『踏みにじられた!』と言い立てるようになった」とも言うが、まったくの詭弁であると同時に、朝日自身に思い当たることはないのか? と言いたくなる。

「踏みにじった」側が開き直っていると高橋は言いいたいのだろうが、慰安婦問題の本質は強制連行の有無。現在では無しで確定。朝日の捏造はバレて自らも認めた(誤報と言い換えているが)。慰安婦像は米軍車両に轢かれた被害者少女。慰安婦の象徴でもなんでもない。

誰が誰を踏みにじったのか?

昭和天皇のご真影を焼く映像など、「踏みにじった」こととの関連など何もない。高橋は昭和天皇を「戦犯」と考えているのだろうが、ならご真影を焼いても良いのか? 何かというと写真や国旗などを焼く、どこぞの国の連中と同じ発想のようだ。

高橋は「被害者なら何をしてもいい」とでも考えているのか? 作品展は被害者の代弁とでも思っているのか? まあ、思っていてもいいけど、それと「表現の自由」とは何の関係もない。誰(何)が被害者なのかもよく分からないけど。

朝日の得意技である「関連のないことをあたかも関連付けて論調する」典型である。しっかり高橋もこの「得意技」を習得しているようだ。さずか、編集委員!(笑)

朝日による報道被害は多い。「普通の国民」はみな朝日の報道被害者と言っても過言ではない。朝日のウソ・捏造、印象操作記事で、どれだけの被害を被ったことか! 被害者が朝日に対して何をしても、朝日は許容するのか?

最後に、朝日自身が「被害者ズラ」している現状をどう考えているのかと聞きたいくらいだ。ウソ・捏造を垂れ流し、印象操作記事を連発してきたことへの反省もなく、英語版では相変わらず慰安婦を「性奴隷」などと書く朝日が、被害者ぶるんじゃねえぞ! と思っている国民は多い。

自分勝手なご都合主義を振りかざし、「被害者」「弱者」に寄り添うなどときれい事を言う「加害者」「強者」の朝日新聞。いい加減にしろよ!