焼き場に立つ少年
以前からこの写真自体は知っていたのだが、その背景や真実は知らなかった。勝手に、弟を背負う少年が敗戦の報を直立で聞いている風景かと思っていた。背負われた子どものぐったり感は気になっていたけど・・・。

今回、この写真が長崎原爆投下後に、亡くなった弟を荼毘に付す順番を待っている少年の姿だと知り、驚愕してしまった。なんという心・意思の強さ、強固な責任感を感じる写真ではないか。あまりにも心を揺さぶられる。

調べてみると、アメリカ人写真家・ジョー・オダネル氏が原爆投下後の長崎の火葬場で撮影したもので、いろいろな番組や記事で取り上げられていた。「焼き場に立つ少年」と称されているようだ。

オダネル氏の回想によると、「少年は何の感情も見せず涙も流しておらず、硬い表情で目を凝らして立ち尽くしていた。しかし弟が荼毘に付されている最中には炎を食い入るように見つめ始め、その唇には血が滲んていた」という。火葬場などではなく、野焼きに等しかったのだろう。

この写真から原爆や戦争の悲惨さに話を持っていくのは簡単だ。同様に、だからこそ防衛力や抑止力強化が必要だとの論調もそうだ。しかし、写真から受ける感情は、そのような議論・論調は超越しているように感じる。

言えるのは、当時の日本人の高潔な精神力。戦時中のため質素な服装ながらも気品さえ感じる佇まい。現代人が忘れてしまったものが、そこにはあるような気がする。

幼い弟の死を受け入れ、家族を代表して(もしかしたら家族も亡くなっていたかも)やってきた少年の気持ちを思うと、現代人の感覚でものを語るのはおこがましいことだ。この写真から政治的(右も左も)な話にもっ行くのは失礼なことだと思う。

今年もやってきた8月15日。8月6日・9日同様、昨今はいろいろな意見が飛び交い騒がしくなってしまったことは残念だ。平和な世界を生きる現代人として、分別ある行動が求められることは言うまでもない。

少年のその後は不詳のようだが、少年の目に現代人はどう映るだろうか?