朝日新聞が「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」が中止になったことに、「表現の自由が大きく傷つけられた。深刻な事態である」と社説に書いている(8月6日)。つまり朝日は、この展示を「表現の自由」だと主張している。さらには「社会の病理」など、展示に反感や違和感を持つ「普通の日本人」を「病理」などと侮辱している。
しかし朝日は、2015年1月に発生したイスラム教予言者・ムハンマドの風刺画を掲載したフランスの風刺新聞が、イスラム教徒(過激主義者といわれる)に襲撃された件について、同年1月19日の社説「表現と冒とく -境界を越える想像力を」でこう言っている。
「ある人々による風刺表現が、別の人々に侮辱と受けとめられる」「(表現の自由は)どんな場合でも無制限というわけではない。無分別な表現は、個人や集団、民族などの名誉や尊厳を傷つける『暴力』にもなりえる」「自分にとっては当たり前に思える常識や正義が、他者にとっては必ずしもそうではないという想像力。それがあっての表現の自由である」
おやおや、よく分かっているではないか。まさに、その通りである。
では、なぜ「表現の不自由展・その後」中止は、「表現の自由が大きく傷つけられた」になるのか? 理由は簡単だ。日本(人)を貶めている展示(表現)だからだ。
日本人は宗教のセンシティブな面に疎いが、宗教問題は一歩間違えれば紛争にまで発展してもおかしくはない。こういうところでは、朝日も正論を吐く。ところが、日本(人)のこととなると途端に本性剥き出しになる。
朝日が根っからの反日新聞であることを、自ら証明するダブスタだ。
昭和天皇のご真影を焼く映像など、「普通の日本人」にとって「個人や集団、民族などの名誉や尊厳を傷つける『暴力』」そのものである。しかし朝日からすれば「当たり前に思える常識」だと言うこと。
2015年の社説の中で、朝日は「報道機関を含め、表現者はいつも謙虚に耳を澄ます姿勢が欠かせない」とも言っている。朝日が「謙虚」という言葉を知っていたことに驚きだが、現在の朝日に「謙虚」さの欠片もないのは明らかだ。相変わらず「捏造記事」「ウソ記事」「印象操作記事」で、日本(人)や安倍首相などを貶めようと一生懸命だ。
朝日は自ら書いた「(表現の自由は)どんな場合でも無制限というわけではない」と「表現の自由が大きく傷つけられた」の整合性をどう考えているのだろうか? 4年前の社説なんて誰も覚えていないだろうと、高を括っているのだろう。一番舐められているのは朝日読者だけどね(早く購読をやめた方がいいよ)。
「普通の人間」なら、こういうのは恥ずかしいと感じるものだが、「朝日記者」にとっては当たり前のことなんだろうな(苦笑)。
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