国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」が中止になった。朝日新聞は「表現の自由が大きく傷つけられた。深刻な事態である」と予想通りの物言い(8月6日社説「あいち企画展 中止招いた社会の病理」)。

朝日は「気に入らない言論や作品に対し、表現者にとどまらず周囲にまで攻撃の矛先を向け、封殺しようとする動きが近年相次ぐ」と嘆く。もちろん、脅迫や犯罪まがいの抗議行動は現に慎むべきだ。しかし、朝日は自身のお仲間達の同様の抗議活動には絶対に触れない。それどころか、お仲間達の選挙妨害という犯罪を許容しておきながら、何を言ってるんだ! と思う。

「表現の自由」って、何をしてもいいという無制限の自由ではない。自由の裏には「責任」を伴うのはもちろんだし、他人の声を無視する自由でもない。朝日はお仲間達なら何をやっても許されるとでも思っているのか?

朝日が今回の展示物を「表現の自由」と考えていることは恐ろしいことだ。例えば、聖書やコーラン焼くような映像を流したら、キリスト教圏・イスラム教圏からどんな反応が出るかは予想できるだろう。それどこか、紛争に発展してもおかしくはない。これを「表現の自由」とは絶対に言わない。他人の内面に泥を塗りつけるような行為が「表現の自由」であるわけがない!

また、河村たかし・名古屋市長の「本国民の心を踏みにじる」との発言に、「職権乱用だ」「憲法の趣旨を理解していない(憲法違反だ)」と反応する異常さ。朝日は「政治介入だ!」と言うが、河村市長は主催者側(会長代行)側の人間だ。主催者が展示内容に口を出すと「介入」なのか?

まあ、カネだけ出して内容を知らなかったという市長の対応は、批判されても文句は言えないけど。

そして、もうひとつ。公金が支出されているイベントであることに対し、「公的施設を使い、公金を受け取るのであれば、行政の意に沿わぬ表現をするべきではないという考えは間違いだ」「多様性を保障することに最大限の配慮をすることが求められる」と言う。

誰が行政の「意に沿った表現をしろ」なんて言ってる? 国民には様々な考えの人がいるのは当然だ。明らかに偏ったものに公金支出や公共施設の提供を躊躇するのは当たり前だ。右でも左でも。朝日は左が断られた時しか報道しないけど。

それに尖った企画をやりたいなら、私費で私的施設でやればいいだけ。今回のものも、津田自身がカネを出し(費用を集め)、シンパの私的施設を借りてやる分には、批判は出ても無視すればいいだけ。まあ、津田にそんな器量があるとは、とても思えないけど。

朝日の「多様性」とは自身とお仲間達の思想や主張を指す。決して反対者の意見は「多様性」に含まれない。今回の展示は明らかに「表現の自由」を逸脱しており、「多様性を認めろ」などというレベルではない。

朝日はいつも自分たちの都合のみで「多様性」を強調する。自分たちが気に入らないものに対しての反対論は「多様性」だが、自分たちの主張への反論は「気に入らないものを封殺する動き」となる。そんな朝日が「表現の自由がぁ~!」などと書く愚かさ、惨めさ、無様さ、滑稽さ。

今回の件を「社会の病理」などとする朝日こそ、「社会の病理」であることを自覚する必要がある。