朝日新聞3月29日の社説「夫婦別姓 政治を動かすために」は嘲笑レベルだった。夫婦同姓が「個人の尊重」や「法の下の平等」をうたう憲法に反するとの訴えを東京地裁が退けたことを批判している。
朝日新聞は、日本の諸々の文化を否定することが唯一の「正義」と考えているからしょうがないが、裁判所が法律に基づいて判断したことを「法律論に終始し」と言うのは違うだろう。
じゃあ、何に基づいて裁判所に判断しろと言うのか? まさか、韓国のように「情」で判断しろとでも言うのか? 朝日新聞が夫婦別姓を推進したいと考えてもいいけど、裁判所(裁判官)を批判するのはいかがなものか。
「姓の変更を強いられる者の事情に思いを致さない判断」って、まさに「情」をくみ取れってことなんだろうが、朝日新聞に対する国民の感情のみで判決を出されたら、朝日新聞は何と言うのか? 間違いなく「法律無視の判決」となじるだろう。
慰安婦捏造など数々の悪行に対し、多くの国民は怒っている。日本にこれだけの不利益を生じさせたあげく開き直っている。可能なら朝日新聞の廃刊を求め提訴したいものだ。しかし国民感情のみで「朝日新聞を廃刊とする」なんて判決は出ない。同じことだ。
また朝日は社説中で「多様な選択を尊重しようという考えは広がっている」とし、それを認めない社会は「窮屈だ」とまで書く。噴飯物だ。朝日新聞こそ決して「多様性」を認めないからだ。
自社思想を中心に置き、それに合っていれば「従え」と言い、合わなければ「多様性を認めろ」と言う。選挙報道が良い例だ。自分らの主張に近い方が勝てば「民意だ」と言い、負ければ屁理屈をこねてまで「民意とは言えない」と書く。
こんな朝日新聞が「多様性」などという言葉を使ってはいけない。
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