5月1日の皇太子殿下ご即位に伴い施行される新元号が「令和」に決まった。

ただ、その意味や込められた思いをいくら説明しても、またどんな名称になったとしても、気にくわない連中はいるものだ。

朝日新聞・鮫島浩は「命令、指令、司令、令状、令息、令室・・・。令のつく言葉。どこか息苦しい。その下の和がつくと、さらに息苦しい」だって。 こいつは何に決まってもいちゃもんをつけただろうから、どうでもいいけど。

ただ、鮫島のご両親も「浩」と名付ける際には、多くの思いを込めたことだろう。広々とした大きな心を持って欲しいかもしれないし、なみなみと水が溢れる大海原をイメージしたかもしれない。

そんな「浩」を、だだっ広いだけの空虚なものとか、スッカスカだなとかひねくれた解釈をされたら気分はどう? ご両親の思いを侮辱されたようで気分が悪くなるのではないか。鮫島の言ってることは、これと同じことだと思うけど。

鮫島が元号が嫌い(廃止論者)だろうがどうでもいいが、多くの国民を不快にさせてまで、イデオロギー的な理由で批判するする。国民意識とのズレを感じることが出来ない人間が、新聞記者とかジャーナリストとか名乗ることの恥ずかしさを自覚した方がいいぞ。まあ、国民意識とのズレを感じられないからこそ、朝日新聞にいられるのかもしれないが。

鮫島以外にも、同様のいちゃもんやこじつけ、妄想をいろんな人が発信している。そんな人たちは、自分の名前の謂れに思いを馳せてみたら。