朝日新聞の「おま言う」と「論点のすり替え」はいつものことだが、こういう連中が記事を書き、論調をしていることが恐ろしい。他人に厳しく自分に甘い、いつの間にか被害者ズラをする典型的な連中で、「恥」という言葉を知らない。

2月8日の社説「官房長官会見 『質問制限』容認できぬ」は、そんな朝日の本領発揮といったところ。

首相官邸の報道官室が内閣記者会に「事実に基づかない質問は厳に慎んでいただくよう」求めた文書を出したことを批判している。オレ的には、自称記者の妄想質問や自己主張につきあわされる官房長官も大変だなと思うだけである。

朝日が批判するのは自由だし、好き勝手言う自由もあるので、まあいいだろう。ただ、言うに事欠いて「国民の『知る権利』の侵害でもある」「(安倍政権の)国民の疑問に正面から向き合わない姿勢の表れ」との言い分は笑止千万である。

朝日が「国民の知る権利」を守っているとでも言うのか? 「報道しない権利」を行使しまくり、自社に都合の悪いことは報道しない。さらには、事実を切り取り印象操作。事実が不都合なら捏造もする。

そんな悪事がバレても、何とか「自分らは悪くない」「自分らのせいではない」と言いつくろう。慰安婦捏造という悪事がバレても、訂正記事が検索されないようメタタグを操作したことなど、その典型と言えるだろう。このように、国民に向き合わないで責任逃れをする朝日が、他者に向かっては「国民の疑問に正面から向き合わない姿勢」などと書く滑稽さ。

普通の感覚では恥ずかしいと思うものだが、連中はまったく気にするそぶりもない。人間として腐っているからだろう。朝日は記者のSNS使用を推奨しているようだが、そこに溢れる異常な思想・思考の数々は驚かされることばかりだ。

朝日がどう論調しようが、他社・他人をどう批判しようがかまわない。しかし、自分らが他人を批判できる立場かどうかくらいは、きちんと考えなければいけないだろう。少なくとも、自分らが実践できていないことで、他人を批判してはいけない。

何回も書いているが「国民の知る権利の代理人として、私たち朝日新聞の責務は重い」(曽我豪)と言える立場にあるかくらいは、自問自答して欲しいものだ。