「新聞部数が1年で222万部減・・・ついに『本当の危機』がやってきた」という記事が流れてきた。筆者は磯山友幸。経済ジャーナリストの肩書きがついている。

内容は「2018年の日本の新聞発行部数は3990万部で、2017年に比べ222万部も減少した。14年連続の減少だ。このままいくと、紙の新聞が消滅することになりかねない状況だ。日本では歴史的に新聞がジャーナリズムを支えてきた。新聞が滅びると、真っ当なジャーナリズムも日本から姿を消してしまう。どうやって日本のジャーナリズムを守るのか。そろそろ国民が真剣に考えるタイミングではないだろうか」(要約)。

なんとまあ、傲慢な考え方。磯山の経歴を調べてみたら日経新聞出身者だった。なるほど「しんぶん村」の一員だ。

元新聞記者として、その役割に自負を持つのは構わない。しかし、部数減の原因を追求もしないで、「国民よ、それでいいのか?」はないだろう。自分らに原因があるとは考えないのか? 新聞を読まなくなった国民が悪いのか? バカもたいがいにしろと言いたい。

部数減の原因を普通に考えれば、トーマス・ジェファーソン(米国3代大統領)の言葉に凝縮されるだろう。
「新聞は情報を独占、勝手に取捨し、醜く加工し、民に下してきた」
「真実もあの毒された器(である新聞)に入れると怪しくなる」

自社に都合の良いように事実を切り取り印象操作、事実がなければ捏造もする。都合の悪い事実は報道すらしない。「事実」を報道し「事実」に基づき論調していると思っていた新聞が、その実態はジェファーソンの言葉通りのことをしていることが、ネットの拡がりによりバレただけのこと。

どの新聞かは言わないけど、「事実より思想」「事実より感情」「事実より妄想」を優先し、それらに基づき記事を書く。さらには、事実が考えに合わなければねじ曲げる(曲解)。それでも足りなければ作り上げる(捏造)。記者が堂々と「エビデンス? ねーよそんなもん」「レッテルを貼ろう」と嘯く。

こんな新聞を誰が信用できるのか? 事実を事実として報道しない新聞など、存在価値はない! 磯山に言いたい。部数減は「自業自得だ」と。「どうやって日本のジャーナリズムを守るのか」だって? 数多い自称・ジャーナリストに聞いてみればいい。きっとこう答えるぞ「安倍政権が倒れれば守れる」(苦笑)。

こういうのを「ジャーナリズム」とはき違えている人間が多くいるからだろう。磯山は足許をよく見ないといけない。その足許を揺るがしているのは自分ら自身だということを。

「国民が真剣に考えるタイミング」ではない。「自分らが真剣に考えるタイミング」なのだ。自分らがどう変わらなければいけないのかを真剣に考える必要があるのに。こんなことに気づきもしない愚かさ。上から目線で偉そうなことを言える立場じゃないだろう。