外国人労働者の受け入れを拡大するための出入国管理法(入管法)改正案をめぐって、国民民主党が参院に対案を提出。玉木代表は立憲民主党を念頭に「他党にも呼び掛けたい」と語った。

しかし、立憲民主党の枝野代表は「対案を出す予定はありません」。国民民主党の対案についても「具体的なものではない」と否定する発言を行った。

立憲民主党は旧社会党に成り下がっているので、どうでもいい。「反対、反対、何でも反対!」の政党が国民に受け入れられる余地は、現在の日本にはない。その政党が何を成すかが「普通」の国民の判断基準だ。何もしない批判勢力が生き残れることは断じてない!

その証拠に、立憲民主党の支持率は右肩下がりに下がり続けている。自民党の対抗勢力として期待していた人もいたのだろうが、そういう人たちの想いは枝野には届かない。

政府・与党のやることは、何だろうと気に入らないという人も一定数いる。しかし、そういう人たちの支持のみでは絶対に政権を獲ることはできない。つまりは端っから批判勢力としての「楽」な道を選んだということ。そんな政党に将来展望などあるわけもない。

そういう「楽」な道を選んだ旧社会党(現社民党)の末路はどうなったか? 政党要件も失うことが確定し、消滅寸前だ。特に福島瑞穂という「生きる化石」を党首に選んだ後は、坂道を転がり落ちるという表現がぴったりの状況だ。

旧民主党が政権を獲ったことは、日本でも政権交代が起こることを国民に思い至らしめた。国民は期待したが、その期待は絶望に変わった。最大の戦犯は菅直人内閣だ。その菅内閣の主要メンバーが立憲民主党の連中だと考えると、連中が「楽」な批判勢力の道を選んだことは、ある意味当然のことだ。政権担当能力がないことがバレている連中だからだ。

そんな連中が野党第一党だという悲劇。これは日本の政治にとって、決して良いことではない。「安倍一強」などと言われるが、みぃ~んな野党のふがいなさが原因だ。政策で政府と切磋琢磨することから逃げている枝野が、「ポスト安倍は自分だ」的な発言をする滑稽さ。

その時その時の風次第で若干の議席数は増えるかもしれないが、立憲民主党が政権を獲ることは決して出来ない。それが枝野が選んだ道である。ある意味、枝野は自らに政権担当能力がないことを、よく理解しているのかもしれない。

ついでに、国民民主党にも一言。今回「参院」に対案を出したが、衆院では立憲民主党と一緒になってつまんない反対論を言っていた。腰の定まらない中途半端な政党だ。こういうのを見ると、立憲民主党が筋を通しているように見えてしまう。「楽」をしたい枝野の思う壺ってところ。