トランプ大統領の会見でCNNの記者が質問を繰り返したあげく、記者証を没収された件で、朝日新聞(記者のSNS含む)がトランプ大統領批判を続けている。たまたま目についた五十嵐大介のツイートを例にあげる。

五十嵐は「厳しく追及したCNN記者」という前提だが、そうだろうか? このCNN記者は日本いもいるタイプだが、自分の主義・主張を「絶対正義」としているので、それに合致しない回答には納得しない。だから、また同じことを繰り返す。

質問したい記者は大勢いるのに、マイクを離さない。カラオケ中毒の爺か! と思われる醜態。「普通」の人にはそう見える。

どころが、自称ジャーナリストを気取る連中は、そうではない。五十嵐のように「厳しい追及」などとアホなことを言う。こういう連中は何のための会見かを理解していない。大統領に限らず、会見を開いた人間の言い分を国民に伝えることだ。自説と違うからと言って、そこで「議論」することではない。

もちろん、言い分を無批判に垂れ流せということではないし、批判も自由だ。批判・論調は必要だろう。でも、それは言い分を正確に把握した上で行うべきであり、その場で「議論」をふっかけることではない。

会見に出席できるのは、ある意味記者の特権だ。しかし、その後ろに会見を観る国民がいる。国民が知りたいことは多種多様だ。批判もあれば肯定もある。つまりCNN記者の行為は記者会見を観る側の権利を著しく侵害している。

この行為を「厳しく追及した」などと捉えている五十嵐は、朝日記者そのものだ。傲慢で自惚れで、勘違いしている。批判したければ自らの媒体で行えということ。

例えば、菅直人のようなアホ首相がいたとして、産経新聞が延々と質問を繰り返し批判したとしたら、朝日新聞はなんと言う? そして菅直人が怒ったとしたら朝日新聞はどちらを擁護する???

記者のフィルターを通したものは、その時点で純粋な「事実」ではない。会見はその「事実」を知る貴重な場だ。朝日新聞が「事実」をねじ曲げ、時には捏造・ウソまで書いて対象者を批判するのはよくあることだが、「普通」の国民は朝日新聞のフィルターを通さない「事実」が知りたいだけなのだ。その「事実」を肯定するか否定するかはこっちが決めることであり、決して朝日新聞が決めることではない。