安田純平
自称ジャーナリストの安田純平が日本記者クラブでの会見で、「私の行動で日本政府ならびに多くのみなさまにご迷惑をおかけした。批判があるのは当然」「紛争地に行く以上は自己責任、自分自身に起こることは自業自得だと思っている」「外務省にはできることをやっていただいた。なにも不満はなく、本当にありがたいと思っている」と頭を下げた。

本心から言っているのか、批判がうるさいから便宜上頭を下げたのかは知らないが、当然のことと思う。でも、同じ自称ジャーナリスト連中から見ると、この光景は「異様」「異常」らしい。

この頭を下げた行為に対して、朝日新聞・石川智也が疑問を呈している。と言うより、頭を下げさせた「世間」を批判している。どういうこと?

石川は言う。「『運悪く拘束された』ことは、謝罪するほどの『罪』なのか?」。 巻き起こっている「自己責任論」に関しても、「(自己責任などは)目にしたくもない言葉」「日本人は自己責任という言葉に中毒を起こしている」などとの暴言を吐いている。

石川の考えは、戦場の悲惨さを伝えるという「崇高な理念」を絶対視し、そのために拘束された安田を傍観者である「世間」が批判するのはお門違いだということ。でも「ん?」という感じ。

石川は「被害にも迷惑にも遇っていない人間が責任を口にする」と「世間」を批判する。でも忘れてないか。本人が「自己責任で行くんだからほっといてくれ」と啖呵を切って行ったことを。その挙げ句が「助けてください」。

「運悪く拘束された」と言うのも事実誤認で、「当然のこと」である。そう考えざるを得ない状況だった。それを「運悪く」などと嘯いてしまうことろが、自称ジャーナリストという連中の「世間ズレ」。

「『自業自得だ』『税金を使って助ける必要がない』という、溺れた者をさらに棒で叩いて沈めようとする」などとも言うが、身勝手な行動をした者を税金を使ってまで助けることに批判が出ることは当然ではないのか?

朝日新聞はよく言う(石川も同様だと思う)。「ジャーナリズムの本質は権力監視」。石川や朝日新聞が忘れていることは、ジャーナリズムも権力だということ。ならば、「国民(世間)はジャーナリズム(ジャーナリスト)を監視する」でもある。

今回の安田の件で、「世間」は被害にも迷惑にも遇っていないから批判するな! はまったく通らない。自らも権力であり、批判の対象なのだ。自分らは他人の批判をするが、批判は許さないなどという、朝日新聞の日ごろの態度がいかに傲慢なことか分かるということ。

石川はジャーナリストとは崇高な使命を帯びているので、無条件ですべてのことが許され批判の対象にもならない特権階級とでも考えているのか。それを何としてでも救出し、「英雄」として迎えろ! とでも考えているのか。アホくさ。

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