朝日新聞の11月3日「私の視点」に立憲民主党・尾辻かな子が寄稿していた。「マイノリティー差別 『寛容であれ』誰に求めるか」。
読んだ感想は、LGBTのみなさんをひとまとめに「被差別集団」「弱者」と言うのには違和感を感じるけど、自身がLだと公言している尾辻の、過去の経験や思いなどがあるのだろうから、それ以上言うことはない。
ただ、物議をかもした「杉田論文」が「LGBTへの差別」との風潮をもたらしたのは、明らかに尾辻と朝日新聞の「曲解」から始まる。
問題とされる杉田論文の「彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がないのです」には、表現上の違和感を感じるのは確かだ。しかし当然のことだが、全体の論旨の中で論じなければならないのは言うまでもない。
尾辻の場合、杉田論文をすべて読んだ上での反応かは不明だが、「当たり前のことだが、すべての人は生きていること、そのこと自体に価値がある」とツイート。これは「生産性がない」から導き出すことは不可能な「生きている価値がない」を想像させる飛躍しすぎる反論。まあ、尾辻の文章理解力無さが原因かな。
一方、朝日新聞はもっと露骨。雑誌発売から6日後に、自称・ジャーナリストの声として「物言うマイノリティーが現れた途端に叩くのが今の社会」と、杉田論文を「ヘイトスピーチ」の前提で記事化。
さらに翌日の社説で「性的少数者をあからさまに差別し(中略)歴史的に少数者を排除してきた優生思想の差別的考えとどこが違うのか」と、明らかな「曲解」見解を載せた。
税金の使い道(優先順位)の話を、「差別」「優生思想の考え」にまで拡げられる論説委員連中の思考回路に恐れ入る。論点のすり替えどころではなく、意図的な「曲解」による個人攻撃だ。
朝日新聞は日ごろから「多様性」と言う言葉を好むが、実は「多様性」を認めていない。自身と違う意見はまったく認めず封殺しようとする。そんな朝日が、今回も「多様性に逆行する」などと書くが、LGBTの人々の「多様性」について考えず、尾辻と同じようにひとまとめの全体論で書く。この矛盾に朝日は気づかない。と言うよりも、初めから眼中になく無視している。朝日はLGBTの人々を、政権・自民党批判に利用しているように感じる。
朝日の意図的な「曲解」はいつものことだが、朝日の論調に引っ張られ、杉田論文を読んでいないと思われる連中がわいわい騒ぐ。これもいつものこと。
税金の使い道の提起が、いつの間にかLGBTへの差別にすり変わる。LGBT支援の方法論(必要性の有無含む)などの本質論は捨て置かれる。朝日新聞の本質無視もいつものことだけど・・・。
最後に朝日新聞に問う。菅直人の発言(2007年1月、愛知県での街頭演説)はどうなのか?
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