シリアで拘束されていた自称・ジャーナリストの安田純平氏が解放された。とりあえず生きて返ってくることができたことは良かったと思う。日本政府からの要請を受けて作られた枠組みの中での支援(身代金支払い)だったようだ。

彼の行為・行動に関して賛否両論が巻き起こっている。危険を冒して戦地での情報を配信するという使命感と、結果として拘束され関係者に多大な迷惑を掛けた。擁護や褒め称えている人たちは前者を重視し、批判する人たちは後者を重視しているのだと思う。

でも普通に考えれば、いくら崇高な考えをもった行動だとしても、その結果を自分で解決できてないんだから、前者を重く判断する理由が分からない。「自己責任」がキーワードのようになっているが、自ら「自己責任で行く」と啖呵切って行ったのだから、それ以上でも以下でもないこと。

オレが思うに、スキー場で未滑走の新雪の上を滑りたいと滑走禁止区域に入り込み、雪崩に巻き込まれて生き埋めになった。レスキュー他が必死で助け出し、九死に一生を得た。それなのに、助け出され方に納得できないなんて言ったら? 「非常識」と言われてお終い。これと何が違うの? ということ。

それと、彼を評価している多数が左派系なことだ。彼の過去の言動や行動などから、どうも彼を反政府の象徴と捉えているのかのようだ。政府の渡航自粛要請を蹴ってまで行った行為を、反政府を貫いたと喜んでいるのだろう。

「彼は英雄だ」などとトンチンカンなことをテレ朝・玉川が言っているが、玉川にとっての「英雄」だと考えれば納得できる。でも他人に強要してはいけない。一般人にとって彼を英雄とする理由が何もないのだから。自分は安全な場所で遠吠えしかできないことから、彼はすごいって言ってるだけのこと。こういう言葉を公共の電波で発することに躊躇しないところが玉川の世間ズレ。言い換えれば傲慢さ。

朝日新聞や毎日新聞も必死で擁護論を載せているが、彼が自ら「自己責任」と言っていたことには決して触れない。「自己責任と批判が出ている」などと、いつもの論点ずらしに終始しているのは笑うしかない。

「自己責任」という言葉に、無理矢理に理由付けをしたり、変な解釈をしたり、屁理屈を付けたり忙しいあちら界隈だが、結局は「お仲間を必死で擁護しているだけ」というのが結論では?