朝日新聞デジタルのオピニオンページには社説や天声人語、各種コラムが掲載されている。社説以外はタダでは読ませてくれないところが朝日新聞だが(登録すれば記事1日1本のみ全文読めるが)。

各種コラムは一覧が記載されているが、その中に「政治断簡」はない。検索すれば出てくるのだが、なぜか一覧にはない。なるほどねと思う。その理由は、現在の執筆者が高橋純子、国分高史、佐藤武嗣の3編集委員だからだ。こいつら共通点は、他人(主に安倍政権、自民党)を批判するのだが、実は書いている内容が朝日新聞自身のこととしか思えない内容だからだ。

特に酷いのは高橋純子の駄文。おそらく自分は「気の利いた」文章になっていると自画自賛しているのだろうが、とてもまともに読める代物ではない。

10月8日も「逃走中なのか、挑戦中なのか」とのタイトルで安倍政権を批判しているが、内容はまったくない。安倍政権を批判する高橋の文章は、まるで朝日新聞の自己紹介かと思う内容だ。

「説明責任を果たすことから逃げ」なんて、朝日新聞のやってることそのもの。慰安婦問題など30年以上すっとぼけ、あげくに第三者委員会という身内の大甘見解で終わり。最近では検索逃れのメタタグ挿入など、とことん「説明責任」から逃げまくっている朝日新聞。

コラム中の「◯◯を棚に上げて被害者モードで反論する姿」なんて、まさに朝日新聞! としか言えない言葉。よく自分たちの姿を見てからものを言えと思ってしまう(苦笑)。

それにしても朝日新聞の身勝手さは、怒りを通り超して笑ってしまうレベルだ。10月10日の社説(「加計氏の会見 説明になっていない」)も、「世の中の疑問や批判にしっかり向き合おうという気持ちは、どうやら一切ないようだ」なんて書いているけど、これも朝日新聞の自己紹介ではないか。

恥ずかしげもなく、こういう文章をよく書けるよな。朝日新聞にいると、人間として鈍感になるようだ。これだけ自分に甘い人間の集まりも珍しい。勘違いしている人間は、これだけ傲慢になれるという見本でもある。

傲慢で奢っている人間が、自分の思い通りならないことに対して、紙面を使って憂さを晴らしているだけだ。駄々を捏ねていると言った方がいいのかもしれない。自分たちの非を認めない人間が、どうあがいたところで誰からも信用されない。

朝日新聞が自らの捏造・ウソ記事、印象操作記事の数々を自省しない限り、廃刊を免れることはできないだろう。